Muranaga's View

読書、美術鑑賞、ときにビジネスの日々

研究所からビジネスの現場へ

自分の出身母体である IT 系の研究所にて講演をする機会があった。題して「研究所からビジネスの現場へ」。ソフトウェア研究開発の exit としてインターネットサービス事業を位置づけ、「研究者も一度は事業部を経験して、顧客の立場にたって仕事をする機会を持つことが重要である」というメッセージを若手研究者に伝えた。

この講演の準備をすることは、自分のキャリアを振り返るよい機会となった。まず想定される聴衆(若手研究者)に対して「自分ならでは発揮できる価値は何だろうか?」と考えた。「研究所から事業部に移った技術者は多いけれど、技術だけでなく営業もやり、とうとう経営にまで手を染めている人間は、そうはいない。だから技術者から経営者に転向した個人的な体験をもとに、僕の思いを伝えることが、他の人には真似できない価値になるだろう。」そう考え、研究所時代の技術的なバックグラウンドに始まり、研究所で実用化を手がけたソフトウェアの数々、そしてインターネットサービスの事業部に飛び込んで、新サービス立ち上げや営業経験などを通じて感じたこと、経営を志向するにあたって技術者が身につけるべきビジネススキルなどを率直に語った。

こうして振り返ってみれば、今も昔も「ソフトウェアの実用化・事業化」に挑戦する日々である。

ソフトウェア、特に「プログラミング好き」は一通りのことができるようになると、より複雑な、またより汎用的な処理をするプログラムに興味を持つようになる。したがってアプリケーションプログラムに始まって汎用のライブラリ、ミドルウェアシステムや言語処理系の実装、さらには OS の世界に行くのは、ある意味必定であって、ご多分に漏れず僕もその道を歩いてきた。ところがあれほどエキサイティングだった OS の分野も、Microsoft が商用 OS を一人で握ってしまったがために、事業としての exit がなくなり、つまらなくなってしまった…。Windows 95 から NT というのはそういう時代だったように思う。

それをもう一度面白いところに引き戻したのが、Linux / Apache のようなオープンソース・ソフトウェアとインターネットである。OS としての Linux。それをベースにした Web サーバ。自分たちが開発したソフトウェアを、オープンソースのサーバに置いて、サービスとして提供する Software as a Service (あるいは ASP = Application Service Provider) という、ソフトウェア開発の新しい exit の形ができたのである。そしてそれをビジネスとしている今の事業部は、まさに僕にとって「生きていくべき場所」となっている。

研究者にとって技術の exit として事業があるのに対し、僕にとってのインターネットビジネスは生業そのものであり、すべての発想のスタート・入り口に相当する。研究所にいた時は「自分の作った技術」をどうしたら世に問えるだろうかと考えていた。事業部では「どういうサービスを世に問うか」が先にあり、その実現手段の一つとして技術をとらえている。この両方向の思考が、事業部と研究所両方を経験することにより可能になった。このことの重要性を、ぜひ若手の研究者にわかって欲しい、できれば経験して欲しいというのが、僕からのメッセージであった。

今、われわれが提供しているサービスの中には、研究所で開発された技術が大きな差異化要素となっているものもある。その意味では研究者への期待も大きい。その一方で、企業の研究所にいるにもかかわらず、事業化する意識が弱いと感じることも少なくない。時間軸・スピード感のずれも感じる。このあたりのギャップを少しでも埋められれば、研究所と事業部とでよいコラボレーションができるようになる可能性がある。

研究所時代、僕は事業部の方には可愛がっていただいたと思う。Sun Microsystems をはじめ、当時の先進的な会社の技術者との会合など、さまざまな現場によく連れ出していただいた。こういうことが今の僕にも求められているのだろうと思う。

そして何よりも、研究開発の exit であり、自分にとっての生きていく場であるインターネットサービス事業を成長させること。今の僕のミッションに他ならない。