Muranaga's View

読書、美術鑑賞、ときにビジネスの日々

対談:梅田さん vs. 吉岡さん

梅田さんと吉岡さんの対談イベント:「シリコンバレーのビジネス風土」と「オープンソースの思想」 の映像が YouTube にアップされたので早速見た。夜中に YouTube の映像を見ながら、PC に向かってメモを取るというのは初めての経験である。ネットによる映像共有の利便性、またそれを使ってこのような対談を配信してくれることのありがたみを実感する。

以下、オープンソースについて、ごく個人的な体験に基づく感想を述べる。

吉岡さんは、1998年の Netscapeソースコード公開で、オープンソースを大きく意識したと言われている。商用ソフトウェアの公開という意味では衝撃的だったかもしれない。

しかし個人的には、もっと古くから、計算機科学の研究者の間でソースコードを共有することは当たり前に行われていたと感じるし、それがオープンソースの原点なのではないかと考えている。たとえば Berkeley Unix しかり、Emacs しかり、X Window System しかり。また教育用にソースコードを読むというのは当たり前であり、たとえば OS を勉強するときは、教科書として Minixソースコードが載った"Operating Systems Design and Implementation (Prentice Hall Software Series)" のような本を読むのが習わしだった。

1994年から96年にかけて僕が滞在したカーネギーメロン(Carnegie Mellon)大学では、Mach OS のマイクロカーネルのコードが読めた。しかも Mach だとユーザモードでファイルシステムなどが作れるので、アプリケーションを開発する感覚で OS の機能拡張を行うことができた。たとえば僕のいたSatya 教授の研究グループでは、Andrew File System のソースコードに自分たちの研究成果をどんどん付け加えていた。それが Coda File System である。

このように古くから(おそらく 1980年代から)、研究成果のアウトプットとしてのソースコードを、計算機科学コミュニティの中で共有し、育てて、資産としていくというのが当然のようになっていたと思う。研究者コミュニティの伝統的なソースコード共有の考え方が、インターネットの普及によって、さらに広く開かれていったというのがオープンソースなのではないだろうか。

さらにプログラムには「作品」という側面がある。それはある意味、文章を書くのに似たところがある。自分の思想・考えを表現する手段として、プログラミングという行為がある。

オープンソースにより、一握りの優秀なハッカーが設計・実装した素晴らしい「作品」に、一般のプログラマが少しだけでも参加できるという機会が生まれた。僕の場合は、Mew という Emacs 上のメーラが初めてリリースされた頃、ちょっとした機能拡張用に自分が書いた数 10 行の Lisp コードが反映されたことがあり、とても嬉しかったのを覚えている。

「新しいモノを作りたい。」「新しい作品に貢献したい。」自然なハッカーたちの欲求が、今もオープンソースの根幹にあり、それは未来永劫変わらないのではないかと、僕は思う。

Operating Systems Design and Implementation (Prentice Hall Software Series)

Operating Systems Design and Implementation (Prentice Hall Software Series)