Muranaga's View

読書、美術鑑賞、ときにビジネスの日々

『私塾のすすめ』 ― 齋藤孝と梅田望夫が戦っているものの本当の怖さ

本を読む時、あなたはどうしていますか?

三色ボールペンで線を引き音読する齋藤孝 『三色ボールペン情報活用術』『声に出して読みたい日本語』)。ページを折り曲げて後から書き出す梅田望夫『グーグルに淘汰されない知的生産術』)。この二人の対談が、『私塾のすすめ─ここから創造が生まれる』である。

ハイテンションでしゃべる齋藤と、落ち着いて話をする梅田。身体論をもとに四股を踏ませる齋藤と、シリコンバレーで「ひきこもり」の生活を送る梅田。大量の本を書くがブログを持たない齋藤に対して、1日7-8時間はネットにいてブログの読者と緩やかな対話をする梅田。子供たちの全体の底上げをめざす齋藤と、上の子を伸ばしたい梅田。

さまざまな点で対照的に見える二人が共通に持っている願望が「私塾」を開くことだという。そこは志を同じくする仲間と語り合い学び合う場であり、「志向性の共同体」となる。何のために彼らは私塾をめざすのか。二人はどういう「志」を共有しているのか。対談を終え、実は二人が日本社会を閉塞させている「まったく同じもの」と戦っていることに気づいたという梅田のあとがきが印象的である。

彼らが戦っている相手は何か? それは大きな組織にいると多かれ少なかれ常日頃感じるものである。リスクテイクしない、安定志向、指示待ち、責任範囲の限定、新しいことへの抵抗、あるいは傍観、うまくいかない理由の列挙…。

こういう中にあって、新しいものを生み出す挑戦をし続けるには、相当のエネルギーが必要である。梅田が言うように「たいがいはうまく行かない」と思ってあきらめない。あるいは齋藤のように 「ミッション、パッション、ハイテンション!」と叫んで走り続ける。だが、なにごとも徹底してやれる彼らとは違い、通常の人にはなかなかできることではない。だんだんと疲弊もしていく。そして自分が組織の中にいる限り、この見えない相手と戦いながらも、何とか折り合いをつけていかねばならないのだ。

もしかしたら、この「病」の本当に怖いところは、知らず知らずのうちに自分が侵されてしまうことにあるような気がする。戦っているつもりだったのが、妥協し、折り合いをつけるうちに、いつの間にか自分自身が「まったく同じもの」の側に立つ人間になってしまっている危険性がある。新しい価値を生むべく若い人を鼓舞し、挑戦させるはずの人間が、自分でも気づかぬうちに抵抗勢力になっているかもしれない。

僕自身について振り返ってみると、新しいビジネスを創り出そうと無我夢中で走り抜けてきた時は、「挑戦しない」という選択肢を考えたことは微塵もなかった。しかし年齢を重ね、走り続けることに多少なりとも疲れが見えてきた今、新しい挑戦をしない方が楽だと思わせる何かが自分の中に巣食っていないだろうか? 半ば無意識のうちに、挑戦することを避けようとはしていないだろうか?

これらの疑問を真っ向から否定できない自分に気づいて慄然となる。