Muranaga's View

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ユニークな視座を持つ伊東乾の「常識の源流探訪」:『日本にノーベル賞が来る理由』、『東大式絶対情報学』、『バカと東大は使いよう』

Web 上に連載されている 「伊東乾の常識の源流探訪」は独自の切り口が面白い。物理学を専攻した作曲家・指揮者である伊東乾氏のユニークさが表れているコラムである。その Web コラムの中で、日本人のノーベル受賞に関わる記事を、タイムリーに書籍化したのが、『日本にノーベル賞が来る理由』である。

単に学問の分野で卓越した業績を上げる、科学的な大発見をするということだけにとどまらず、その応用によって産業を発展させ、人々の生活を豊かにして人類のためになる仕事をした人を、ノーベル財団は顕彰したい。そういうポリシーに基づき、ある年における受賞対象分野を企画、多段階の厳正な選考過程を経て、さらには国際情勢など多角的な視点からのバランスに配慮しながら、受賞者を決定する。これがノーベル賞の「個性」となっている。

この本では、日本人あるいは日本出身のノーベル賞受賞者の業績を簡単に振り返りつつ、その受賞の持つ意味・背景を明らかにしていく。たとえば湯川秀樹の受賞は、マンハッタン計画に責任のあった物理学者たちが、ノーベル賞選考委員として、原爆投下への後悔と謝罪の意を込めたものであったこと。原爆を落とした側のファインマンと、落とされた側の朝永振一郎を同時受賞とすることで、原爆20年を和解と協調の年として演出したこと。日本人のノーベル賞受賞を素直に喜ばしいことと受けとめるだけでなく、賞にこめられた日本への期待を理解し、またそれに答えていくことが重要であるとする。

日本は「現地語」「自国語」で最先端の科学が学べる教科書が揃っている、世界でも稀な国である。しかし日本出身のノーベル賞受賞者が、その業績をアメリカで開花させているように、知を育て循環させていく基盤が日本には乏しいことに伊東は警鐘を鳴らしている。アメリカが科学の主要な舞台になった背景には、明確な理由と努力があった。科学研究そのもの、それを支える仕掛け(研究所から出版社まで)、そしてその担い手としての次世代の人材育成。この三つの要素からなる知の好循環システムをアメリカは構築したが、日本ではその重要性があまり理解されていない。その一つの例として、研究成果の知財化、それによるライセンス収入で基礎研究への再投資ができるサイクルを整備することの必要性を指摘している。

Web のコラムでは、南部陽一郎博士がノーベル賞受賞講演を共著者に譲ったことの背景についてもウラ読みをしている。その真偽のほどは不明だが、こういうところに突っ込める視点を持つのはなかなか他の人にできることではないように思う。

伊東乾にはこの本の他にも、「絶対音感」ならぬ「絶対情報感」を養う『東大式絶対情報学』ディシプリンなき大学教育の現場から教育・学問に対する思いをつづった『バカと東大は使いよう』などの著作がある。いずれも科学と芸術、両方を修めた著者ならではのユニークな内容となっている。

日本にノーベル賞が来る理由 (朝日新書) 東大式絶対情報学 バカと東大は使いよう (朝日新書)