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素粒子=「場」を理解すべく、『光の場、電子の海 --- 量子場理論への道』を再読

ヒッグス粒子の発見が確実視されつつある中、現代物理学では「素粒子は(空間を飛びまわる)粒子ではない」と考えられている。粒子ではなくて、何なのか?「場である。」現実世界にマップしないと考えられない僕の頭ではなかなか理解できない考え方である。もう一度、この概念を理解すべく(理解はできなくとも、そのテイストを掴むべく)、吉田伸夫『光の場、電子の海 --- 量子場理論への道』を再読した。この本は、20世紀の物理学者の原論文の内容にあたりつつ、量子力学に始まり、量子場の理論標準模型確立に向けた仮説・検証の奮闘の歴史を紹介している。

電子の粒子としての振舞いを扱う「粒子の量子論」が量子力学であり、さらに電子の変動や光との相互作用を場として扱うのが「量子場の理論」であり、後者が前者の上位概念となる。量子場を伝わる波動が、エネルギーがとびとびの値にになり、あたかも空間を飛びまわる粒子のように振舞うため、素粒子と呼ばれてきた。素粒子はビリヤードの球のような粒子ではなく、あくまで量子場が粒子のように振舞っているものである。

光の場、電子の海―量子場理論への道 (新潮選書)

光の場、電子の海―量子場理論への道 (新潮選書)

以下にこの本の内容の一部をメモとしてまとめておく。あくまで本の内容を抜き出したものであり、僕自身は理解しているとは言えない。今までずっと素粒子(elementary particle)と呼ばれてきたが故に、「粒子」のイメージが頭の中から離れない。粒子でない、と言われてもなかなかピンと来ない。

量子場の理論

  • 拡がりを持つもの(弦、膜、媒質など)が量子論的な振動を行うと、粒子・波動の二重性を示す現象が生じる --- これが量子場の理論の基本的な発想である。(P.158)
  • 粒子概念を捨て、場の概念を採用することによって、初めて相対論的な量子条件が得られる。(P.160)
  • ディラック波動関数は観測可能な物理的実体ではなく、電子の状態を規定するものとみなしていた。つまり電子という粒子の存在を理論の前提としている。これに対してパウリは「電子は場の振動が粒子のように振舞うこと」であり、主役は場であり、電子はあくまで派生物となる。(P.163-P.165)
  • 場はmc² というエネルギーのまとまりが整数子存在する状態、そこでは電子の状態は粒子の数ではなく、mc² というエネルギーのまとまりが何個あるかを意味している。(P.166)
  • 電子の実体は光と同様、「場の振動」である。光と違って「質量」を持っているため静止することが可能なので、いかにも「粒子のように振舞う」。(P.167-P.168)
  • 電子が静止できるのは質量を持つため場が振動し続けられるから。電子が完全に静止しているときには場の振動が同じになるので、どこで振動が起きているかという場所を特定することができず、電子の位置は完全に不確定になる。これが「不確定原理」の起源である。(P.166)

素粒子は粒子ではない

  • 量子場の理論量子力学に対する上位概念であり、量子力学は量子場の理論における粒子的な振舞いを粒子そのもので近似した理論に過ぎない。(P.175)
  • この量子場の理論に基づく包括的な理論の枠組みが「標準模型」である。(P.202)
  • 量子場を伝わる波動は、電子や光子と同じくエネルギーがとびとびの値となって、あたかも空間を飛び回る粒子のように振舞う。これが「素粒子(elementary particle)」と呼ばれてきた。(P.203)
  • 素粒子はビリヤード玉のような粒子ではない。あくまで量子場が粒子のように振舞っているものである。(P.203)
  • 素粒子の種類ごとに量子場が存在しており、この場があらゆる地点で量子論的にゆらいでいる結果として、エネルギーがとびとびの値になる。こうしたとびとびのエネルギーの一つのまとまりが素粒子なのである。(P.203)

標準模型

  • ヤン=ミルズ理論に基づく素粒子標準模型では、素粒子が変転しながら相互作用する過程を量子場概念によって統一的に扱う。(P.214)
  • ヤン=ミルズ理論は自然界を記述する上で困難があったが、「ゲージ対称性の破れ」と「閉じ込め」により解決された。(P.216)
  • ゲージ対称性の破れは宇宙誕生の過程でヒッグス場が宇宙全体にわたって凝結した際に、特定の方向を向いて固まってしまったことを指す。この影響を受けて多くの素粒子はその相互作用する場が偏ってしまう。陽子方向と中性子方向で振動に差が出て、両者が混じり合うことがなくなった。(P.217)
  • 一方、ゲージ対称性が破れていない場合は、ゲージ場の相互作用は狭い範囲に閉じこまれて外部から観測できなくなる。陽子・中性子・中間子は実は素粒子ではなく、ゲージ場の相互作用が閉じこまれた領域なのである。(P.218)
  • 陽子・中性子・中間子はクォークの結合したものである。ヤン=ミルズ理論で記述される相互作用は近いところで弱く、遠いところで強くなる性質があるため、クォークは距離が離れるほど強度を増していくゲージ場に周囲を覆われるになる。しかしクォークが集まるとゲージ場の相互作用が打ち消しあって力は弱まり、その結果、3つのクォークがまるでゲージ場が作る繭玉の中に閉じこまれたような状態になる。この繭玉が陽子や中性子・中間子の正体である。(P.219)
  • 重力作用以外のほとんどの物理現象は、ヤン=ミルズ理論という量子場理論で統一的に記述することが可能だと考えられている。ここに含まれるのは、クォーク場、レプトン場(電子、ニュートリノ、μ粒子などの場)、ヒッグス場、ゲージ場である。クォークレプトンは粒子の生成消滅には反粒子がペアになることが必要であり、簡単に個数を増減することができないため、いかにも粒子のように振舞って、物質を形作る構成要素となる。(P.220)
  • ゲージ場は大きく2種類に分かれる。一つはクォークとだけ相互作用するものでゲージ対称性は破れておらず、クォークと自分自身を繭玉に閉じ込めて外部に出さない。もう一つはクォークレプトン・ヒッグスいずれとも相互作用するもので、ゲージ対称性が破れているため、閉じ込めは起きない。対称性の破れに伴い、ゲージ粒子は重い粒子(Z粒子・W粒子)と質量のない粒子の2タイプに分かれるが、後者は実は光子そのものである。(P.220)

量子場理論の世界像

  • 物質を単純な要素に分解・還元していくかつての理論では、空間を動き回る小さな粒子が存在し、それが互いに力を及ぼしながらくっついて物質を構成する。この機械的な世界像には、空間を満たす場が波動を伝えるというイメージが欠落している。
  • 一方、量子場理論は「空間を運動する小さな粒子」も「空虚な空間」も仮定しない。あらゆる物理現象が「場」から生起する。ニュートン力学で別個の概念として扱われていた空間-時間-物質-力が量子場という一つの概念に集約されている。(P.221-P.222)
  • 量子場の最大の特徴は、振動が起きるスペースとして、空間や時間とは別の次元を内包している点である。量子場の状態は、量子論的なq数で表される。値が確定しないq数の特性に従って、量子場は振動スペース内部に広がり、とびとびのパターンを持つ定在波となる。こうしたパターンの離散性が、量子場に粒子的な性格をもたらしている。(P.223)
  • この振動スペースが果たして現実的なものか、それとも理論の記述に現れるだけの数学的な虚構なのかは、今の時点では何とも言えない。もし実在するとなると、われわれが3次元の空間・1次元の時間として認識しているものは、無数の次元が集まった超高次元世界である。現実の複雑さは、膨大な次元数を持つ世界のどの部分次元で生起するかに依存する。素粒子論は世界を単純な要素に還元する理論ではなく、実はまったく逆なのである。(P.224)

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