Muranaga's View

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美術鑑賞がますます楽しくなる『簡単すぎる名画鑑賞術』

『いちばんやさしい美術鑑賞』はアマチュアならではの鑑賞ガイドがわかりやすかったが、逆に美術のプロフェッショナルが、中学生にもわかる簡潔で明快な絵画の読み解き方を指南する本がある。西岡文彦『簡単すぎる名画鑑賞術』。題名の通り、とても分かりやすい西洋美術ガイドである。多摩美術大学の教授で版画家でもある筆者が、その愛してやまない絵画の魅力を、力強い筆致で伝えている。

著者は柳宗悦門下の版画家を師匠に伝統的な「合羽刷り」の刷り師として入門して10年修業を積んだ。その後、美術誌の編集の仕事に携わっている。そんな経歴の持ち主だから、本質的な言葉で、わかりやすい文章を書くのかもしれない。

簡単すぎる名画鑑賞術 (ちくま文庫)

簡単すぎる名画鑑賞術 (ちくま文庫)

画家の絵筆・タッチの違い、その変遷の解説が詳しい。口絵にカラーの拡大図も掲載されており、タッチの美術史をルネッサンスから現代アートまで、辿ることができる。絵に近づいて観る時のポイントが、少しだけわかったような気がする。

モナ・リザ』の「!?」マーク

  • 実物を見た時の無感動、むしろ失望には理由がある(意外と小さい、複製のよう、何が描きたいのか不明)。
  • 画集やテレビの画面などで大きく見えることは、むしろ名画の証。
  • 複製のように見えるのは、筆の跡を消すダ・ヴィンチの神業。溶き油で薄めた「つゆ」状の絵の具を何度も塗り重ねている。
  • モナ・リザ』は美術史上はじめて登場した「人物画」。肖像画でもなく礼拝像でもない。「ある女性」の似顔絵ではなく「女性というもの」のイメージを描いた。

モネのムラ塗り

  • モネの魅力は絵の具のムラにある。パレットではなくキャンバスの上で、直接絵の具を混ぜているところも多い。
  • 1874年の第一回印象派展(「嫌な予感の印象派展」と語呂合わせ)の『印象 日の出』が印象派命名の由来。歴史的に意義のある場面を写実的に描く正統な絵画に対して、刻々と様相を変える外界の光の印象を描いたため、酷評された。
  • チューブ入りの絵の具の発明が、風景画の屋外制作を可能として、印象派を生んだ。
  • モネは見る人の目の中で、絵の具を混ぜた。
  • 日本人のモネ好きは、モネが影響を受けた日本の美学(黒を使わない配色は、影を描かない浮世絵の影響)を逆輸入しているから。

マネのベタ塗り

  • 神話・聖書・歴史の一場面、ストーリーの都合上無理なく裸になるというのが従来のヌード絵画の言い訳。一方、マネが1863年(「いや無味乾燥なマネの裸」)に制作した『草上の昼食』『オランピア』は、同時代の女性の裸を描き、大スキャンダルになった。
  • マネの特徴は絵の具のベタ塗りにある。その絵の具の塗り方のルーツは、スペイン王室の看板画家ベラスケスの大胆にしてツボをおさえた筆使いにある。
  • 下地の乾かない薄い色の上に、濃い色を太い筆で塗るのは、濃い色の上に明るい色を重ねる従来の技法とは正反対。最後に黒をベタ塗りして、画面全体に輝きを与えている。それはダーク・スーツの美学が生んだマネの黒とも言える。
  • 内容も、明暗を強調した塗り方も、大胆な筆使いも、印象派たちに影響を与えたが、マネ自身は印象派から尊敬されることには、迷惑していた。

ドラクロワの色彩

  • 『民衆をひきいる自由の女神』などドラマティックな画風のドラクロワ。激しい画面を安定させるピラミッド構図が使われている。
  • 『ダンテの小舟』の水滴は、ルーベンスの水滴をさらに大胆な色使いにして、赤・黄・緑・白の独立した点で描かれ、離れてみると見事に融合して一つの水滴に見える。キャンバスの上で絵の具を混ぜる印象派の手法のルーツ。
  • その大胆な色使いは、補色を対比させることで生まれており、ゴッホを心酔させた。
  • 画家の主観的な感情を表現する筆づかいの元祖がドラクロワゴッホムンクの描線につながっていく。

レンブラントの陰影

  • レンブラントの感動は、厚塗りにある。指で絵の具をこすったり、パレットナイフをコテにして盛り上げたり、大胆な筆づかいだが、距離をおいて眺めると写実のきわみを見せる。当時の無理解から、作品にニスが塗られてしまい、後年の修復でニスが洗われ、鮮やかな色彩が出現した。
  • ダ・ヴィンチが薄塗りで写実の頂点をきわめて以降、厚塗りによるタッチの到達点がレンブラントと言える。
  • 極端に暗い背景により、「レンブラント光線」と呼ばれる劇的な光を演出する。暗い影との対比で光の明るさを描くのではなく、明るい色にさらに明るい色を重ねる技法は、影を描かない浮世絵に影響を受けた印象派の登場を待つことになる。
  • 絵画芸術は、イーゼルにのる持ち運びサイズになって個人化した。礼拝の対象ではなく、美の感覚の喜びを提供する。絵画が個人の内面を映し出す鏡の役割を獲得したのも、まさにこの時代(17世紀バロック)。
  • レンブラントは個人性を追求、不遇の中でも晩年、売れない自画像を描き続けた。そこにはダ・ヴィンチをも超える人間的な表情の描写がある。日々自分と対峙して、厚塗りとなぐり描きという手法で描かれた自画像こそ、レンブラントの心の痕跡として残っている。

スーラの点描

  • 目の中で混色する技法はドラクロワやモネの試みをさらに徹底したものだが、モネがうつろいゆく外界の色彩を素早く画面に描きとめようとしたのに対し、無数の習作で科学者のように実験を重ねた後に、作品を完成させるのがスーラ。
  • 光学と色彩理論の時代が生んだ点描。印刷のアミ点を先取りした原色の点による混色を探究する。
  • 後期印象派の画家たちは個性的な造形を探究した。ロートレックの流麗な線、ゴーギャンの明快に区切られた色面、ゴッホの渦巻く描線、そしてスーラの点描。

ゴッホの渦巻

  • 生前に売れたゴッホの絵は1,600点中わずか一点。不遇と無理解につきまとわれた人生だった。ゴッホは芸術する精神のボクサーだった。
  • 工業化し人間性が押しつぶされていく社会にあって、野放図な感受性や生命力を感じ表現するゴッホの絵は、近代人すべてが心に抱えていた不安を表出するものであり、心の病気の肩代わりでもあった。
  • 写実という他者へのサービスではなく、作り手が自分の手の動きのままに楽しむことで、心を静めることができる。ゴッホ以降の近代絵画は芸術療法となり、「美しい」作品はほとんど見当たらなくなった。
  • せっかちな性格で盛り上げた絵の具の超厚塗り、その集大成が『ひまわり』。
  • 晩年はのたうつ筆づかいがさらに極端になり、不安にゆらぎ、どうどう巡りに渦巻く描線となる。追いつめられた中でなお個性を発揮しようとする抗いが、見るものの共感を誘い、不思議と元気にさせる。

クリムトの平面

  • 実際の黄金よりも、レンブラントの描く黄金の方が価値が高い。クリムトの金の多用は時代に逆行するもの。金という素材を使った世紀末の装飾性は、写実描写と根本的に対立する。
  • 金粉でも金箔でも濃淡の表現は不可能、写実的な陰影表現はできない。
  • 日本美術の金を使った造形仕様、平面性がクリムトの手本となった。文様が正面向きに描かれている『見返り美人』。そうした文様もクリムトは参考にしている。
  • 立体表現では「どう見えているか」を描くのに対し、平面表現では「どうなっているか」を描く。陰影を描かない浮世絵のフラットな画面も、色がどう見えるかではなく、色そのものを描く。日本美術の平面性を、クリムトは積極的に導入し、装飾的な画面を構成した。
  • 世紀末のクリムトは、同時代のマーラーの音楽に似ている。音楽で言えば旋律、絵画で言えば形が、この二人の場合、全体を貫くような大きさに欠けている。どっしり感がない。骨太な全体感に欠けたところが、クリムトの魅力の本質てあり、その造形の限界となっている。

セザンヌの立体

  • セザンヌ美大入試の定番。その基本画風は「面取り」。ものの形を面の集合体としてとらえて、立体感を強調する手法である。今では絵画描写の基本中の基本となった描き方だが、発表当時は笑いものにされてしまうほど理解されなかった。形体の表現に熱心なあまり、質感を切り捨ててしまっている。美しさではなく、どういう形をしているかということに関心がある。
  • うつろいゆく光や変わりゆく色彩の描写をめざした印象派は、実体としての「あり方」よりも光線の反射による「見え方」を表現する。それは形体の喪失という危機に直面した。それに対するセザンヌの回答が、面取りであった。風景を描くにしても、目の前に広がる平面的な絵としてではなく、深さと奥行きを探究した。
  • 『トランプをする人々』では、カードをする人物の形体のみがわかり、物語性は失われている。「文学性の拒否」、すなわち挿絵であることをやめたのがセザンヌであり、これこそが現代絵画の最大の特徴となっている。セザンヌは現代絵画の父ともいうべき画家である。
  • セザンヌの試みを大胆に推進したのが、ピカソやブラックのキュビズム、「立体派」の画家たちである。直方体と円筒で自然をとらえるべきとしたセザンヌの描写を、極端なまでに徹底した。そしてさらにキュビズムでは、同じ画面に異なった角度からみた立体の描写が共存している。この時から、絵画は「美」の象徴から「自由」の象徴となった。

ピカソの自由

  • ピカソは下手うまの元祖。子供時代ラファエロのように描けたが、子供のように描けるようになるのに半生を要したと、ピカソ自身が言っている。
  • 哀愁に満ちた「青の時代」、人体の造形のみに興味を絞って描いた「桃色の時代」、立体をさまざまな方向から眺めたキュビズム、包装紙や壁紙や新聞紙をキャンバスに貼り絵するパピエ・コレ。カメレオンとあだ名された多彩な画風を持つが、学生時代のデッサンは神がかった写実の腕を見せている。ダ・ヴィンチのような巨匠と並べても、その存在感・正確性はひけをとらない。
  • 自由を求めた破壊の確信犯であり、絵になる形と色を知り尽くした巨匠である。ピカソ以降、現代アートは美そのものや芸術そのものを否定するようになるが、ピカソの作品は、どれほど大胆な試みをしていようとも、最後の最後、絵を描くと言う感覚の喜びを捨てることはない。
  • ピカソの魅力を伝える本が、結城昌子『ピカソの絵本 あっちむいてホイッ!』である。

ピカソの絵本―あっちむいてホイッ! (小学館あーとぶっく)

ピカソの絵本―あっちむいてホイッ! (小学館あーとぶっく)

モンドリアンの厳密

  • モンドリアンによって幾何学的な抽象絵画は確立された。絵画から形を除いて幾何学的な形体を描くモンドリアンカンディンスキー。一方で絵の具を叩きつけるような野生的な抽象絵画もある。モンドリアンは理性の極致で絵画の新地平を開いた。
  • 垂直と水平の線にのみ整理して、三原色だけで抽象絵画の最高峰に到達したのが『赤・黄・青のコンポジション』。1930年の作品だが、以降幾何学的な抽象画でこの作品を超えるものは出ていない。
  • 考え抜かれて単純化した配色と構成、対角線を極端に嫌う。
  • 厳格なプロテスタントであるカルバン派の家に生まれ、父ゆずりの造形的な潔癖性をもって、十字架の影響を受け反発しつつも、水平線と垂直線という構成要素にこだわった。
  • 機械化した感受性のために、厳密で理知的なモンドリアンの画面は、叙情を奏でる。
  • 抽象絵画の魅力を伝える良書は(先日亡くなった)本江邦夫『○△□の美しさってなに?』。

現代アートの「!?」マーク

  • ウォーホルはアートのわかりにくさの象徴。ハリウッド女優の顔の版画の連作で、複製の粗悪感を強調、絵画は美しいという感覚を根本から逆なでする作品であったり、キャンベル・スープの缶を描いただけの作品であったり。当のウォーホルは粗悪感により印刷メディアの複製ならではの味わいを強調したり、現代の静物画の対象として日常的な缶を選んだりした。安手に描かれることの方が「有名」の証になり、ウォーホルに描いてもらうから有名人という逆説的な現象も生じた。
  • わからないこと自体が現代アートの特徴であり、「これでもアートか?!」と、その失望や疑問をあらわにすると、自分が時代遅れで美術の素養がない気にさせられる。本来は、制作のための手段だったはずの実験が、作品の目的そのものになっているのは、現代に特有の現象である。
  • たとえば自転車の部品で牛を作ったピカソの実験。便器を美術展に出品したデュシャンの実験。美術品が美術館に展示されているのではなく、美術館に展示されているから美術品なのだという現実をつきつける実験であった。
  • 現代アートの最大のテーマは問題提起にある。デュシャンの問題提起がシャープ過ぎて、「問題提起」自体がアートの様式として定着してしまった。いまだに似たり寄ったりの「美術品とは何なのか?」という問題提起が続いており、現代アートそのものが元気になれない宿命を抱えている要因となっている。現代アートの前では存分に考え込み、場合によっては落ち込んでみても、いっこうに構わない。

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