Muranaga's View

読書、美術鑑賞、ときにビジネスの日々

梅田望夫「シリコンバレー精神」

梅田望夫さんより新刊シリコンバレー精神 -グーグルを生むビジネス風土 (ちくま文庫)」を送っていただいた。昔読んだ「シリコンバレーは私をどう変えたか―起業の聖地での知的格闘記」の文庫化・改題。そして「文庫のための長いあとがき」が書き下ろされている。

僕は残念ながらシリコンバレーに住んだことはない。しかし米国の分散 OS 研究の現場に身を置いたり、シリコンバレーの企業(それこそ起業して間もないベンチャーから Sun Microsystems のようにゼロから大きく成長した企業まで)と仕事でつきあったりした経験はある。超一流のベテラン技術者が楽しそうに未来の構想を語っている。あるいはコンピュータサイエンスの博士を取ったばかりの、いわゆる nerd たちが成功を夢見てしゃかりきにコードを書いている。そういう現場を目の当たりにして、一人のソフトウェア技術者として妙に羨ましかった。と同時に「彼らに対抗して自分が生きていけるか。」「一個人として、彼らに混じって結果を出していけるのか。」そう考えると身がすくむ思いでもあった。梅田さんの本を読み直すことで、当時のそんな思い出が再びよみがえって来た。

さて、今回印象に残ったのは「文庫のための長いあとがき」の最後にある以下の一節である:

四十一歳という当時の私の年齢は、日本でこそ若手というカテゴリーに分類され、顧客企業での重要な会議などでは私が最年少ということも多かったのだが、シリコンバレーでは、実に難しい年齢に差し掛かっていた。それ以前に蓄えてきた何かを拠り所に逃げ切りを図ろうと、四十代前半を「縮小均衡」的精神で過ごしてしまうと、急激に老け込んでしまう。厳しい競争社会の中、そんな四十代前半を過ごしたゆえにもう何も「新しい価値」を生み出せなくなってしまった友人たちを、私は何人も見てきた。

僕は今 44歳で、経営の一端を担っている。「逃げ切り」を図ろうとは思ってない。むしろこの年齢になっても、まだ自分が誇れる「何か」を生み出せていないという気持ちの方が強い。しかしそれと同時に、企業の中でポジションがあがることにより、現場から遠ざかり、自分自身が何も手を下さなくなっていることに、危機感を抱いている。顧客や市場、そして技術から遠ざかることで、自分はもう「新しい価値」を生み出せなくなってしまっているのではないか。一抹の不安がよぎる。

企業の中でマネジャーとして日々のオペレーションを行っているうちに、それで仕事をしている気になっていなかったか?いつしか「安住」していなかったか? そのつもりはなくても、結果的に「逃げ切り」を図ろうとしていたのと同じではなかったか?

ここ 1ヶ月の間、自分の原点を振り返る機会があり、それに関連して、今後自分はどうしたいのかを考えてきた。未来の顧客に向けて「価値」を創りだすためには、より厳しい環境に自分を置くべきではないかと思い至っている。

シリコンバレー精神 -グーグルを生むビジネス風土 (ちくま文庫)

シリコンバレー精神 -グーグルを生むビジネス風土 (ちくま文庫)

シリコンバレーは私をどう変えたか―起業の聖地での知的格闘記

シリコンバレーは私をどう変えたか―起業の聖地での知的格闘記