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読書、美術鑑賞、ときにビジネスの日々

3年ぶりの石田組。めっちゃ楽しかった!(ミューザ川崎)

石田組。その風貌から「組長」と呼ばれる石田泰尚プロデュースの弦楽合奏団である。石田泰尚さんのヴィブラートを抑えた澄んだ美しいヴァイオリンの音色は、その見た目からのギャップも相まって、聴衆を魅了する。

3年ぶりの石田組公演はミューザ川崎にて。

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石田組は、クラシック音楽からロック(特にプログレッシブ・ロック)、ミュージカルまで、10人を超える弦楽グループならではのダイナミックな演奏を行う。

曲目・演目

《死と乙女》は聴いていても高難度の曲だとわかる。そのうえヴィブラートを抑えた演奏は、音程をピタッと合わせるのが難しいと聞いたことがある。

繊細なピアニシモの《亡き王女のためのパヴァーヌ》、見事なハーモニーの《ボヘミアン・ラプソディ》に泣きそうになった。そしてキング・クリムゾンではふだん絶対にやらないだろう奏法で、音を歪ませていた。編曲もそして演奏も、ますます進化しているような気がする。

途中、シャイな石田さんらしいメンバー紹介と、手慣れた生野さんの MC も聴衆の笑いを誘う。

そしてアンコールは次の3曲:

  • マグブルーム:ローズ
  • 布袋寅泰:BATTLE WITHOUT HONOR OR HUMANITY
  • オアシス:ホワットエヴァ

最後のオアシスは、聴衆をハンドクラップに巻き込む定番の曲。

めっちゃ楽しかった!

公演後は、少し早めの夕食を、いつものトラットリア・ターヴォラにて。

久しぶりの銀座は、交詢社へ

友人の慰労会を交詢社にて企画・開催していただいた。交詢社慶應 OB による社交クラブという認識だったが、今はそうでもないとのこと。基本は上着・ネクタイ着用のドレスコードであるが、5月から10月までは上着・ネクタイを着用しなくてもよい。

洋食か和食か選べるようになっており、和食を選択。そこに獺祭を頼んで、楽しい時間を過ごした。食後は、館内を案内していただき、その伝統ある建物を見学した。

千住博の Waterfall の 1枚がある。

その後は友人の行きつけのバーへ。人間ドック終了後でもあり、心おきなく飲んだ(飲み過ぎた)。

そうそう、交詢社のある西五番街通りには、20年ほど前からお世話になっていた割烹「ちくぜん」がある。一緒に行った友人から「閉店したらしい」と聞いていたのだが、行ってみると「ちくぜん」の入っているビルそのものがクローズしていた。再開発されるのだろうか?

閉店する前に一度行っておきたかったが…。残念である。

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人間ドックに向けての減量に失敗。膝も痛めてしまった

毎年恒例の人間ドック。今年は胸部・腹部のCT 検査を数年ぶりに実施した。提携している病院で検査した後、新横浜国際クリニックへ向かう。ここで健診を受けるのは 3回目である。

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毎度のことながら緊張するのが、鼻からの胃カメラ。今回は若い先生で、丁寧に検査された。その分、お腹の中に空気を入れている時間が長く、いつもより苦しかった。食道裂孔ヘルニア、びらん性胃炎との診断であった。ちなみにこのクリニックでは 9割の方が鎮静剤を飲んで眠っている間に口からの胃カメラで検査するとのこと。

胃カメラの緊張から開放されると、プチ贅沢な昼ご飯を食べたくなる。朝飯抜きだったから許されるだろう。ここにビールがあれば最高だけど…。午後はお仕事。

今回、人間ドックに向けての減量に失敗した。冬の間サボっていたウォーキングの再開が、遅過ぎた。しかも急に集中的に歩いたせいで、古傷の右膝を再び痛めてしまった。来年への反省ポイントである。

痛めた右膝については、ヒアルロン酸を注射するか、湿布で凌ぐか、逡巡している。

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村治佳織ギター・リサイタル「究極の名曲選」:美しい音色に癒される(横浜みなとみらいホール)

午後お休みをいただき、家人から譲ってもらった(奪い取った訳ではない)チケットで、村治佳織さんのギター・リサイタルへ。満員である。

「究極の名曲選」だけあって知っている曲ばかり。《アルハンブラの思い出》のトレモロに癒され、《カヴァティーナ》では青春時代に見た映画『ディア・ハンター』が思い出されて泣ける。

今日の曲目は、ベスト・アルバムCanon』に収録されている。ファン投票で選ばれた 14曲がランク順に構成されているアルバム。《カヴァティーナ》は第1位である。

Canon~オールタイム・ベスト (UHQCD)

Canon~オールタイム・ベスト (UHQCD)

  • アーティスト:村治佳織
  • ユニバーサル ミュージック
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情報処理学会の定時総会が無事終了した

6月11日、情報処理学会 2025年度定時総会は、神保町にある日本出版クラブのホールで開催され、無事終了した。

www.ipsj.or.jp

出版クラブのロビーは天井まで本が並んでおり、素敵なスペースである。

新しい第33代会長には、東京大学Beyond AI 研究推進機構長である萩谷昌己先生が選出された。

萩谷先生と言えば、京都大学数理解析研究所時代に作られた Kyoto Common Lisp(KCL)に、個人的にはお世話になった。この上にオブジェクト指向の拡張を施して、今でいう CLOS(Common Lisp Object System)のような言語処理系を実装していた。

当時はある意味、憧れの存在。先日初めてお会いした日の夜は、一緒に IEEE Computer Society のレセプションに参加させていただいた。40年もの時を経て、まさか一緒に仕事をさせていただくことになろうとは!

beyondai.jp

萩谷先生が会長就任にあたってメッセージとして、人材育成、多様性、人工知能の重要性を述べられている。総会においてのご挨拶では、このメッセージにあえて載せていない、学会としての当たり前のことの重要性を強調された。それは次の二つである:

  • 「情報」という学問を形づくること
  • 会員のキャリア形成のための場であること

高校で数学や物理と並んで「情報」が教えられ、大学入試の科目にもなっている時代。「情報」という学問を形成する日本におけるアカデミック・コミュニティーは、まさに情報処理学会をおいて他にない。

そして大学の先生・学生だけでなく、産業界の研究者や技術者にとっても、そのキャリア形成に有益な場であることも、学会の果たすべき役割である。

この当たり前のことを、僕自身も改めて意識して、学会の事務局運営にあたっていこうと思う。

定時総会の後は、表彰式、そして懇親会。そういえば 20年前、同じ場に招待されて業績賞の表彰を受けたことを、懐かしく思い出した。まさかその事務局を 20年後に自分がやることになろうとは、当時は想像もしていなかった。今いるベテランの職員たちに、きっとお世話になっていたんだろうなぁ。

学会に転職して以降、オンラインでしか会えていなかった理事の先生たちと、直接話をすることができた。リアルに、かつ懇親会のような場でお会いできると、さまざまな事情や本音に近いお話を聞くことができる。全国にいらっしゃる先生方にとって、オンライン開催が利便性が高いのは言うまでもないが、リアル開催の頻度も増やしていくことを検討したい。

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2人の印象派・ポスト印象派の画家を対比させる展示が興味深い「ルノワール x セザンヌ モダンを拓いた2人の巨匠」展(三菱一号館美術館)

晴れたらゴルフ、雨の日は美術館。三菱一号館美術館で開催されている「ルノワール x セザンヌ モダンを拓いた2人の巨匠」展は、その名の通り、ルノワールセザンヌを対比させる展覧会で、とても興味深く拝見した。

mimt.jp

同時代に生き、最初の印象主義の展覧会に出品した2人の巨匠だが、その静物画、人物画、風景画を並べてみると、その作風の違い、追い求めた表現の違いが明確になって面白い。

展覧会の Webサイトから概要を引用する:

本展は、フランス、パリのオランジュリー美術が、ルノワールセザンヌという2人の印象派・ポスト印象派の画家に初めて同時にフォーカスし、企画・監修をした世界巡回展です。 ルノワールの代表作《ピアノの前の少女たち》やセザンヌの代表作《画家の息子の肖像》をはじめとし2人の巨匠による肖像画静物画、風景画、そして、2人から影響を受けたピカソを加え52点の作品からモダン・アートの原点を探ります。 また、この世界巡回展はオランジュリー美術館とオルセー美術館の協力により、ミラノ、マルティニ(スイス)、香港を経て来日し、三菱一号館美術館が日本唯一の会場となります。 ルノワールセザンヌの交遊と合わせて、自在で多様な表現が生み出されるモダン・アートの誕生前夜に立つ2人の巨匠の、卓越した芸術表現を存分にお楽しみいただけます。

職人の息子として生まれ、明るく社交的な性格といわれるルノワールと、銀行家の家庭に生まれ、人付き合いをあまり好まなかったといわれるセザンヌ。 この印象派・ポスト印象派の巨匠2人が、南仏・プロヴァンスの地でともに作品を描き、家族ぐるみの付き合いがあったことはあまり知られていません。 出自や性格だけでなく、一見するとまったく異なる表現を追い求めたように思える2人ですが、古典とモダン両方の様式における先駆者として、近代絵画の巨匠・ピカソにも影響を与えています。

わかりやすく一言で言えば「明・暖色のルノアール、暗・寒色のセザンヌ」ということになるだろうか。セザンヌが好きになってきたのは、年齢を重ねたせいかもしれない。

展覧会のキャプションを参考にしつつ、二人の作品を対比してみたい。

ルノワール《花瓶の花》1898年

セザンヌ青い花瓶》1889-1890年

ルノワールが描く生き生きとした花の構図とは対照的に、セザンヌは抑制のきいた描写で花瓶の花を描いた。花々には影があまり描かれておらず、青を基調とした色調でぎごちなく浮かんでいるような雰囲気をかもしだしている。リンゴの鮮やかな色彩は、青い花瓶とは対照的であり、果物をモティーフにしたセザンヌの他の静物画を彷彿させる。

印象派の画家は、コローやバルビソン派から自然を忠実に観察することを学び、パリ近郊で戸外制作を行った。モネを中心に、移り変わる自然の風景をとらえるために細かな筆致を並べる印象派の技法が登場したが、ルノワールセザンヌは必ずしもその流れに沿わず、形態を保つ作風を維持した。

ルノワール《雪景色》1875年頃

ルノワールは生涯で何度か雪景色を描いてはいるが、繰り返し採り上げる主題ではなかった。どうも寒さに弱かったというエピソードが伝わっている。

ルノワールの戸外制作は、セーヌ川沿いのルーヴシエンヌなどがその場所となった。

ルノワール《イギリス種の梨の木》1873年

緑に満ちたのどかな景観は、パリ郊外の町、ルーヴシエンヌの風景である。シスレーピサロなど他の印象派の画家たちも魅了された町である。画面の枠を越えて広がる梨の木の大きさを示すために、3人の人物が描かれているようだ。淡い色調と繊細かつ透明感のある筆使いによって、光のきらめきを表現している。

セザンヌ《赤い屋根のある風景(レスタックの松)》1875-1876年

セザンヌもまたパリ郊外で制作している。この作品はピサロとともにオーヴェール=シュル=オワーズへ滞在した後に描かれた。南仏の田園風景を戸外制作で描くと言う手法に、ピサロの影響が明確に表れている。空を描く際にはさっと軽やかに、野原を示唆するには長い筆致、葉を描くには短い斜めの筆触の連続、家の表現には絵具を厚く塗り重ねるなど、対象ごとに多様な筆致を使い分けている。

セザンヌ《赤い岩》1895-1900年

セザンヌの故郷エクス=プロファンス近郊のビベミュス採石場を題材としている。青い空、赤い岩、緑の木々を表現するため、一定の方向性を持つ筆致を機械的に並置している。

ルノワール《長い髪の浴女》1895年頃

ルノワールは、若い女性の柔らかく真珠のような肌の描写を好んだが、それはセザンヌの粗く力強い身体の表現とは対照的である。ルノワール肖像画を親しみやすい雰囲気で描き出すのとは異なり、セザンヌは対象と距離感のあるアプローチをとる。《セザンヌ夫人の肖像》では背景やドレスに描かれた青や緑が、人物の顔にも塗られることで理想化が妨げられている。

セザンヌセザンヌ夫人の肖像》1885 - 1895年

ルノワール《ピアノの前の少女たち》1892年頃

ルノワールはたびたび何かに没頭する少女を描いている。従来の肖像がや風俗画の伝統を受け継ぎつつも、定式にとらわれず日常の何気ないシーンを描く試みである。

印象派の画家の多くが形態を希薄にしていく傾向にあるのに対して、ルノワールセザンヌは、線描と色彩を重んじながら理想的な形態のバランスをめざしている。

印象派の画家たちは、静物画というジャンルを新しい描き方で刷新した。ルノワールは色彩豊かで柔らかな筆致を用いて静物を描き、生き生きとして優雅で調和のとれた作品を多く残している。

ルノワール《バラ》1890年頃

ルノワール《桟敷席の花束》1880年

ルノワールは劇場の舞台そのものよりも、桟敷席に関心を抱いている。そこに置かれたバラの花束がエレガントな女性の存在をほめのかす。

ルノワール《チューリップ》1905年頃

一方のセザンヌは色彩と形態の相互作用を重視した。りんごのモティーフはセザンヌにとって特別な意味を持っている。彼の静物画は、厳密で幾何学的な形態を持ちながら、複数の視点を用いて不安定な構図を意図するなど、まさに「絵画の実験場」と言える。

セザンヌ《スープ鉢のある静物》1877年頃

セザンヌ(帰属)《青りんごと洋梨のある静物》1873 - 75年

ルノワール《りんごと梨》1895年頃

ルノワール《いちご》1905年頃

最近 NHK「3か月でマスターする 絵を描く」を見ていることもあって、2人の巨匠の筆使い、タッチを至近距離からしげしげと眺めて、その違いを目に焼き付けた。

小規模ながら見応えのある展覧会であった。

www.nhk.jp

「新版画―世界を魅了する木版画―」:川瀬巴水・吉田博の風景画を堪能する(東京国立博物館 平成館)

僕が新版画を知ったのは、2016年7月の NHK日曜美術館」で吉田博を扱ったことによる。大正時代の渡邊庄三郎が版元となり、江戸時代同様、絵師・彫師・摺師のコラボによる近代的な浮世絵、いわゆる新版画を制作した。

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新版画の中でも、川瀬巴水吉田博の風景画が好きで、企画展が開催されるたびに足を運んでいる。

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表慶館で「浮世絵現代」展を見た後は、平成館 企画展示室の特集「新版画―世界を魅了する木版画―」に足を運ぶ。川瀬巴水も吉田博も、これまでも何度か見たことのある作品が多いが、やはり「好きなものは好き」なのである。何回見ても飽きない。

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www.tnm.jp

Web サイトからこの特集の概要紹介を引用する:

大正から昭和初期に、伝統的な木版画の技法で浮世絵に代わる新しい芸術を生み出そうとした動き、あるいはその作品を「新版画」といいます。江戸時代に流行した浮世絵は、明治末期には新たな印刷技術の普及とともに役目を終えました。しかしその後、技術を受け継いだ版元、彫師、摺師、そして画家が協業し、近代的な感覚を取り入れた芸術作品としての木版画、「新版画」の制作が始まりました。

この新版画を創始したのが、渡邊版画店(現在の渡邊木版美術画舗)の渡邊庄三郎(1885~1962)です。大正4年(1915)、来日中のオーストリア人画家フリッツ・カペラリに描かせた下絵を版画にしたことを皮切りに、渡邊のもとには橋口五葉や伊東深水川瀬巴水、吉田博、エリザベス・キースなど新進気鋭の画家たちが集まりました。当時から欧米で販売を兼ねた展覧会を開催し、人気を広げていった新版画は、現在もなお国内外で愛好されています。

同時期に開催する特別展「蔦屋重三郎 コンテンツビジネスの風雲児」、「浮世絵現代」(会期:2025年4月22日~6月15日)とともに、木版画の技術と表現の広がりをお楽しみいただければ幸いです。

今回は川瀬巴水の代表作の一つ《増上寺之雪》が 42回も摺りを重ねていることがわかる展示になっていた。文部省文化財保護委員会が木版画の制作技術を記録するため、渡邊版画店に製作を委嘱した作品である。

川瀬巴水増上寺之雪》1953年

川瀬巴水(1883 - 1957)は東京生まれの日本画家。27歳で鏑木清方に入門し美人画家として出発したが、35歳で伊東深水の「近江八景」を見て風景画家を志す。繊細な色彩と、郷愁を帯びた叙情感が、川瀬巴水の魅力である。「東京十二題」や「旅みやげ」シリーズは初期の代表作で、夜景や雨、雪の降る景色には独特の詩情が込められている。

以下、展覧会のキャプションの説明をもとに、川瀬巴水・吉田博の作品群を紹介していく。

「東京十二題」は大正8年(1919年)から2年をかけて作成された全12枚のシリーズで、川瀬巴水自ら選んだ東京の風景画描かれている。

川瀬巴水《東京十二題 大根がし》1920年

川瀬巴水《東京十二題 夜の新川》1919年

蔵や石垣の温かみのある質感は、バレン跡を残した「ざら摺」によるもの。

川瀬巴水《東京十二題 深川上の橋》1920年

夏の日暮れを描いた作品。空から水辺にかけてのグラデーションや、揺れる水面の表現がみどころである。

川瀬巴水《東京十二ヶ月 三十間堀の暮雪》1920年

「東京十二ヶ月」は「東京十二題」の好評を受けて制作されたシリーズ。本図に描かれているのは現在の銀座2~3丁目辺り。激しい吹雪の中でスケッチする巴水の傍らで、渡邊庄三郎が傘を差しかけていたと伝わっている。

川瀬巴水《旅みやげ第一集 陸奥 蔦温泉》1919年

「旅みやげ第一集」は旅に基づいて製作された初期の連作、全16図。川瀬巴水は東北地方から房総半島、北陸地方へ赴き、各地の印象的な風景を版画にした。本作は奥入瀬渓流の近くにある蔦温泉で、人知れず降り注ぐ寄りの雨を描いた作品である。

川瀬巴水《旅みやげ第一集 仙台 山の寺》1919年

仙台市にある龍門山洞雲寺を描いた一図。月明かりに照らされた仏殿、二天門、開山堂が藍色の諧調のみで幻想的に描き出されている。昭和18年(1943年)に焼失してしまう前の姿を今に伝えている。

川瀬巴水《旅みやげ第一集 房州 岩井の浜》1920年

川瀬巴水《旅みやげ第一集 金沢 浅野川1920年

川瀬巴水《旅みやげ第二集 奈良 二月堂》1921年

「旅みやげ第二集」は旅先での写生にもとづく全28図からなるシリーズ。巴水は大正10年(1921年)に東海、関西、四国、中国、北陸地方へと赴き、各地の風景を描いては東京に戻り版画にする生活を送った。

川瀬巴水《旅みやげ第二集 晴天の雪(宮嶋)》1921年

川瀬巴水《旅みやげ第二集 月明の加茂湖佐渡)》1921年

画中に月は描かれていないが、手前の小舟から遠景の大佐渡山地まで、一面が月明りに照らされ青色に染まっている。「旅みやげ第二集」にとりわけ多く選ばれた佐渡の風景は、巴水にとって心揺さぶられる場所だったようである。

川瀬巴水《旅みやげ第二集 越中氷見光照寺1921年

吉田博(1876 - 1950)は福岡県久留米市出身。明治から昭和にかけて、風景画の第一人者として油彩や水彩、木版に取り組んだ。大正9年1920年)、渡邊庄三郎の依頼により新版画制作を始める(のちに吉田博は自ら彫りと摺りを学び、渡邊正三郎の新版画とは別の道を歩んでいる)。

吉田博「帆舩」の連作において、版の色を変えることで、水面に映る光や空の色が刻一刻と変わる様子を描いた。

吉田博《帆舩 朝霧》1921年

吉田博《帆舩 日中》1921年

吉田博《帆舩 夕日》1921年

小規模な展示スペースであったが、川瀬巴水・吉田博をはじめとする新版画の魅力を再確認した時間であった。