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読書、美術鑑賞、ときにビジネスの日々

うぅ…。久しぶりに腰痛に見舞われている

冬の寒風のもとゴルフをしたせいか。あるいは毎晩、練習し過ぎたか。7年ぶりに本格的な腰痛に見舞われている。

土曜日のゴルフのラウンド直後は特に問題なかった。ゴルフ場のお風呂でゆっくり体を温めて、帰宅途中に途中下車をして、施設にいる老父を見舞った。その帰りに何となく腰に違和感を感じ、電車で座っている間にみるみる痛くなってきた。特に何か変な動きをした覚えはなく、何かをきっかけにピリッとした痛みが走った覚えもない。少し大きな荷物を右肩にかけていたくらいである。

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期日前投票を済ませ、帰宅。ソファに座ってテレビを見ていたら、すっかり硬直してしまい、動くのが辛い状態に。ロキソニンの湿布を貼って就寝したものの、一晩では回復しない。

翌朝からカイロを貼って温めてみる。温めるためにゴルフスクールのコーチに勧められたのは、あずきのチカラ。電子レンジで1分40秒、これで30分ほど体の部位を温めることができる。

そうそう、こういう時のためにマッサージ(筋膜リリース)・ガンを買っていたのだった。

デスクワークで数時間続けてパソコンに向かっているためか、硬直が酷い。腰にサポーターをつけて仕事をしている。

ゴルフのライバルである友人からは、動滑車式のベルト(サポーター)が強力であると勧められている。またふくらはぎストレッチも効くらしい。

発症してから 3日経ったが、まだ回復の兆しがない。この程度の腰痛でも、こじらせると、17年前には坐骨神経痛になっており、要注意である。坐骨神経痛からの回復には、1ヶ月以上要したようだ。

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余裕の超絶技巧、理知的で美しい演奏を堪能した阪田知樹リサイタル(ミューザ川崎シンフォニーホール)

神奈川芸術協会の「夜ピアノ 2025」第 5回は、現代日本を代表するリスト弾きと言ってもいいだろう、阪田知樹のリサイタルである。

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ウェーバー没後 200年生誕 240年、ということで、シューベルトの小品以外は聞いたことのないマイナーな曲ばかりのプログラムだったが…。最後に凄いのが準備されていた。

ウェーバー「コンツェルトシュテュック」、リスト編曲のピアノ独奏版。阪田知樹らしい余裕の超絶技巧が如何なく発揮された理知的で美しい演奏で、聴衆を感動の渦に巻き込んだ。正直、あまりの凄技に呆気に取られて、笑ってしまったくらいである。

曲目

--- 休憩 ---

--- アンコール ---

このプログラム構成について、阪田知樹自身が語っているのを Web サイトから引用する:

ウェーバー没後200年&生誕240年記念〜 「ウェーバーを讃えて」

オペラの大家として知られるグルックの歌劇《オルフェオとエウリディーチェ》の有名なバレエ音楽《精霊の踊り》で幕を開ける。リストの弟子:スガンバーティによるピアノ独奏編曲版は、ラフマニノフなど古今東西の名ピアニスト達が取り上げた佳品。

続いては、ウェーバーの親戚にあたるモーツァルトグルックによる歌劇のアリアをもとにした変奏曲。モーツァルトの即興演奏を聴き手に想像させるような、やや奇抜な和声進行や遊び心に溢れた楽曲。

モーツァルトによるドイツ語歌劇の伝統を受け継いだウェーバーは、歌劇《魔弾の射手》によってワーグナーらに繋がっていくドイツ・ロマン派歌劇の新たな世界を開いた。当代随一のピアニストとしてヨーロッパで名を馳せたウェーバーは、自身の大きな手を活かした美しくも華やかな楽曲を作曲した。彼の代表作の一つであるピアノソナタ第2番は、優美でありながら、極めて交響的な音楽となっており、演奏には高度な技巧を要する。

歌劇《魔弾の射手》を高く評価していた歌曲王シューベルトもまた、ウェーバーと交流があった。シューベルトは、自身の歌劇を上演してもらうべく楽譜をウェーバーに送っている。好意的な返事を受け取ったものの上演には至らなかった。

ウェーバーの《コンチェルトシュテュック》は、メンデルスゾーンやリストをはじめとする多くのピアニストがレパートリーにしていたピアノ小協奏曲。今回はそれをリストによるピアノ独奏版でお届けする。リストはウェーバーの作品を高く評価し、その作品を演奏会で頻繁に取り上げていた。

2026年に没後200年、生誕240年を迎えるドイツの作曲家:カール・マリア・フォン・ウェーバーウェーバーと彼にまつわる作曲家を合わせてお聴きいただくことで、その魅力を伝えることができればと願う。

阪田知樹

リサイタルでも「今日 1月27日はモーツァルトの誕生日なので、モーツァルトは必ず入れたかった」と話していた。

それにしても今の日本には、それぞれ個性的で素晴らしい演奏をするピアニストが揃っていると思う。阪田知樹は、難曲を余裕で弾きこなすテクニックをベースに持ちつつ、その上に自分ならではの理知的な解釈に基づいて、美しい演奏を繰り広げる。

来年の「夜ピアノ」も務川慧悟が登場する。楽しみである。

神田明神にて新年の参拝

情報処理学会のオフィスから歩いて 15分。神田明神にて新年の参拝をし、「社運隆昌」「IT 情報安全」を祈願してきた。

先月ちょっと立ち寄った時には空いていた境内も、多くの人が出ている。

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社殿に上がってお参りすることを「昇殿参拝」と言うらしい。一般の参拝が長い行列を作っているのに対して、その右側で昇殿参拝の順番を待つことになる。事前予約してあったので受付で首にかける浄衣をもらって、列に並ぶだけである。

50人弱がいっぺんに参拝する。東京・丸の内に近いこともあって、多くの企業・会社の方が訪れている。たまたま待ち行列の最初になったこともあり、祝詞も一番最初に上げていただいた。

お札や職員全員の御守をいただく。

個人的には二つの御守を授かった。「IT 情報安全守護」は仕事のため。神田明神ならではの「勝守」は、趣味のゴルフのため。「自分に勝つ!」

「よくある質問」から「勝守」の由来を引用する:

神田明神の代表的なお守りは何ですか。

「勝守」です。

徳川家康公が関ケ原の戦いに臨む際、神田神社にて戦勝祈願をされ、 見事勝利を収めたことから、 以降徳川家から篤い信仰をいただくこととなりました。

徳川幕府が成立すると当社は江戸城(現・皇居)より 丑寅(北東)の鬼門にあたる現在地(千代田区外神田)へ遷座されました。

当時の御社殿は幕府より寄進されたと伝わります。

御祭神が平将門公であること、徳川幕府ゆかりの神社であることから、 全国の神社でも最初期に勝守の頒布がはじまりました。

神田明神で最も歴史ある御守が勝守です。

毎年、家の近くの神社で「勝守」を入手していたが、神田明神がオリジナルだったようだ。

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直会(なおらい)の箱に入った撤饌(お下がり)も興味深い。「左馬」では人が馬を引くのではなく、逆に馬が人をひいてくる(=招き入れる)ということから商売繁盛に繋がるとされているとのこと。

学会のオフィスに帰る途中、聖橋からちょうどいいタイミングで、地下鉄・丸ノ内線総武線の電車が交差するところを撮影することができた。今年は何かいいことがあるといいなぁ。

箱根:成川美術館から芦ノ湖と富士山を望む

ゆったり温泉と食事を楽しんだ「佳ら久」をチェックアウト。

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成川美術館に立ち寄る。芦ノ湖と富士山の眺望が素晴らしい。ただし昨日のような快晴ではなく、富士山に雲がかかりがちであった。

しかしながら頂上が顔を出した一瞬の時間帯に、海賊船のみならず、12月20日に就航したばかりの「箱根遊船 大茶会」も入った写真を撮ることができた。その後、「箱根遊船 SORAKAZE」もやってきた。

平山郁夫敦煌鳴沙》1985年

平山郁夫敦煌三危》1985年

平松礼二《路 ー はつゆきの舞》1998年

山本丘人《鎌倉残照》1980年

山本丘人《田園夕日》1970年

山本丘人《初雪峠》1972年

一通り館内の絵を見回った後、最後にまた富士山を眺める。

11時過ぎたが、朝食をたくさん食べたので、まだお腹は空いていない。このまま横浜へ帰ることにした。箱根新道から小田原厚木道路東名高速、16号、環状2号と、1時間半弱で帰宅することができた。

箱根:旅館「箱根・強羅 佳ら久」のリピーターになる

箱根への小旅行。夏に続き、冬も「箱根・強羅 佳ら久」に1泊した。リピーターになったことになる。夏の体験が期待以上だったからである。

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ポーラ美術館から大涌谷に向かう途中、佳ら久に車と荷物を預けたのだが、車のナンバーでリピーターであることが認識されていた模様。大涌谷から戻った時には、既に荷物は部屋に運び込まれており、カードキーを受け取るだけだった。

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強羅駅からも、歩いてすぐ。箱根登山鉄道の踏切を渡ったところにある。

さっそく露天風呂へ。大浴場に 1人から 2人。ゆったりとほぼ占有できる。風呂上がりにビールを一杯。夕食に向かう。

今回もダイニング「六つ喜」で食事をいただく。料理長は「なだ万」におられた方。「伊豆山 佳ら久」の料理長も同じである。「なだ万」の経営が変わって、職を転じられたのかもしれない。

日本酒は「新政 No.6」と「飛露喜」を頼む。新政 No.6 X-type に加えて、S-type と R-type も試飲させていただき、その違いを楽しんだ。

大変美味しゅうございました。ごちそうさまでした。

食後はラウンジにて「白州」の水割りを楽しんだ。

翌朝もさっそく展望露天風呂へ。部屋からも朝日が昇るのが見える。

朝食は「六つ喜」の個室にて。朝からお腹いっぱいになる。

食後はラウンジでコーヒーをゲット!部屋に戻って TV をつけたら「100カメ 乗り物特集」をやっており、思わずそのまま見てしまった。

箱根:大涌谷から雄大な富士山を望む

箱根への小旅行初日。ポーラ美術館を楽しんだ後は、「たまには箱根らしい観光を」と、10数年ぶりに大涌谷に行くことにする。Google マップ大涌谷に向かう車の渋滞が確認できたので、本日泊まる強羅の宿に車と荷物を置いて、ケーブルカーに乗ることにした。

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強羅の駅からケーブルカーで早雲山に行き、そこからロープウェイで大涌谷に向かう定番のコース。「午後 1時か。往復で 1時間半くらいかな?宿に早めに帰ってきたら、露天風呂を堪能しよう。」そんな気軽な気持ちで、ケーブルカーの駅に行ったのだが…。

「早雲山にて、ロープウェイ待ちが 1時間」というアナウンスが、往復切符を買った後で流れる。「えー?早く言ってよ」と思いつつ、そのまま行列に並んでケーブルカーに乗車した。

早雲山の駅の外まで、ロープウェイ待ちの行列が続いている。そしてアナウンス通り、待つこと 1時間。午後2時15分に、ようやくロープウェイに乗車することができた。

以前乗ったのは子供が幼い時だから、もう20数年ぶりになるのだろうか。18人乗れる立派なロープウェイに変貌している。しかも大涌谷の駅で折り返すようになっていた。

しかしそれだけ待った甲斐はあった。ロープウェイから富士山が見えた時は歓声が上がった。そして大涌谷を真下に見る光景は、なかなかスリリングであった。

そして目の前に見る富士山の雄大なこと!

昔は大涌谷に来ると、黒たまごを食べ、自然研究路を往復するものだった。今は自然研究路の散策は事前予約制になっており、黒たまごを買う店の前には長蛇の列ができている。いやはや。

帰りのロープウェイ待ちで混む前に、早々に大涌谷からとんぼ返りをすることにした。

強羅の駅から大涌谷を往復するまで、2時間半弱。午後 3時半に、無事、本日の宿「佳ら久」に戻って、チェックインすることができた。

箱根:ポーラ美術館の豊かなコレクションを楽しむ「SPRING わきあがる鼓動」展

1泊2日の小旅行となると、つい箱根を選んでしまう。気軽に美術館と温泉、美味しい食事を楽しむことができる。今回もポーラ美術館へ向かう。

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朝 6時半ごろ横浜の自宅を出発。横浜青葉から横浜町田までの区間が渋滞するので、環状2号線国道16号線の下道ルートを使って回避してみた。

快晴で東名高速からも美しい富士山を望むことができた。足柄SA で朝食。

9時過ぎ、開館直後のポーラ美術館へ到着!

www.polamuseum.or.jp

「SPRING わきあがる鼓動」展が開催されている。Web サイトからこの展覧会のコンセプトを引用する:

春、生命が再生する時間。テクノロジーが社会を覆い尽くす現代において、私たちは身近な自然の驚異や足元に広がる土地の記憶、そして人間の内なる根源的な力を見つめ直し、いっそう鋭敏に感じ取ろうとしています。本展覧会「SPRING(スプリング)わきあがる鼓動」は、アートにおける飛躍する力に光をあて、人間やこの世界の奥底から春の芽吹きのようにわきあがる鼓動を宿し、私たちの感性をゆさぶる絵画、彫刻、工芸、インスタレーション作品を紹介します。

ポーラ美術館は、古くから人々の心身を癒し、感性を研ぎ澄ます場として旅人を惹きつけてきた箱根にあります。本展覧会では、この地に培われた風土と記憶を出発点に、過去と未来、ここから彼方へとつながる想像の旅へ皆様を誘います。静かに、あるいは力強くわきあがる作品の響きと共鳴し、時空を超えて豊かに躍動する創造の鼓動をご体感ください。

大巻伸嗣《Liminal Air Space-Time》 2015年

歌川広重(初代)《東海道五十三次之内 箱根湖水図》1833-34年

杉本博司《富士図屏風、大観山》2024年

杉本博司は「富士山は二つあった」と言う。18年前に大爆発を起こす前の箱根山は 2,700メートル。縄文時代後期に大爆発を繰り返す前の富士山は 3,000メートル。かつては両雄並び立っていたのだ、と。爆発で山頂がカルデラ陥没を起こし、芦ノ湖ができた現在の箱根と、その背後にそびえ立つ富士山を対照的にとらえた屏風に、両雄のそれぞれの宿命が表現されている。

丸山直文《水を蹴る・仙石原(そこでは)》2023年

小川待子《Water Disc》2024年

ポーラ美術館のコレクション、特に印象派の作品は素晴らしいと思う。

モネ《サン=ラザール駅の線路》1877年

モネ《散歩》1875年

モネ《セーヌ河の日没、冬》1880年

モネ《睡蓮の池》1899年

モネ《睡蓮の池》1899年

モネ《国会議事堂、バラ色のシンフォニー》1900年

モネ《サルーテ運河》1908年

ゴッホ《ヴィゲラ河にかかるグレーズ橋》1888年

スーラやが生み出した点描技法が好きである。それは混色を行わずに色を点で置き、異なる色が隣り合うことで生じる人間の視覚作用を、意図的に活かしたものである。スーラは色彩の科学に没頭し、線や平面、陰影によってヴォリュームを表現してきた絵画から、まったく新しい視覚の世界を開いた。スーラが見つけ、盟友シニャックが受け継いだ点描技法は、明るい色彩の効果と、点の反復による独特のリズムをもたらした。

スーラ《グランカンの干潮》1885年

スーラ《グランカンの干潮》1885年

シニャック《フリシンゲン湾》1896年

シニャック《オーセールの橋》1902年

シニャック《オーセールの橋》1902年

ルソーの絵も、不思議な素朴感があって好きである。

ルソー《飛行船「レピュブリック号」とライト飛行機のある風景》1909年

ルソー《エッフェル塔とトロカデロ宮殿の眺望》1896-98年

ルソー《エッフェル塔とトロカデロ宮殿の眺望》1896-98年

現代の彫刻家、名和晃平の PixCell-Deer には、ちょっと度肝を抜かれた。ガラス玉で構成された鹿。近づいてみると、ガラス玉の表面の中には、鹿のはく製があるのがわかる。デジタル画像の「Pixel(画素)」と、生物の最小構成単位「Cell(細胞)」をかけ合わせた独自の概念「PixCell」を具現化したものである。

名和晃平《PixCell-Deer#74》2024 年

名和晃平《PixCell-Deer#74》2024 年

名和晃平《PixCell-Deer#72 (Aurora)》2022 年

「SPRING わきあがる鼓動」展以外にも、ルノワール、ドガ、マネといったポーラ美術館所蔵の作品が展示されている。

もう一つの企画展として、HIRAKU Project Vol.17 ヤマダカズキ「地に木霊す」が開催されていた。展覧会概要を Webサイト から引用する:

細かく砕いた色とりどりの石を組み合わせて画面をつくる、伝統的なモザイク技法を用いる気鋭の若手作家ヤマダカズキによる美術館での初個展。油彩画に比べて陰影や細密な描写を持たないモザイクの「解像度の低さ」に着目した作家は、それを地域に伝わる民話や神話の不確かさと重ね合わせながら、曖昧さを含む伝承を石によって可視化する作品を制作してきました。本展では、ひたすら石を割り続けるというモザイク制作における反復行為を、山に住む精霊によって森に反響する「こだま」に喩え、これまでの代表作と、箱根にまつわる伝承を取り上げた過去最大の最新作によって会場を構成します。明瞭さや再現性ばかりを追い求める現代において、静かに鳴り響く石の声は、我々に何を問いかけるのでしょうか。

ヤマダカズキ《熊と怪童丸》2025年

ヤマダカズキ《芦ノ湖の九頭龍》2025年

ヤマダカズキ《芦ノ湖の九頭龍》2025年

ミュージアムショップで買い物をしているうちに、レストラン「アレイ」の開店時刻となった。

ゆったりした時間を過ごして、ポーラ美術館をあとにした。