僕が新版画を知ったのは、2016年7月の NHK「日曜美術館」で吉田博を扱ったことによる。大正時代の渡邊庄三郎が版元となり、江戸時代同様、絵師・彫師・摺師のコラボによる近代的な浮世絵、いわゆる新版画を制作した。
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新版画の中でも、川瀬巴水や吉田博の風景画が好きで、企画展が開催されるたびに足を運んでいる。
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表慶館で「浮世絵現代」展を見た後は、平成館 企画展示室の特集「新版画―世界を魅了する木版画―」に足を運ぶ。川瀬巴水も吉田博も、これまでも何度か見たことのある作品が多いが、やはり「好きなものは好き」なのである。何回見ても飽きない。
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Web サイトからこの特集の概要紹介を引用する:
大正から昭和初期に、伝統的な木版画の技法で浮世絵に代わる新しい芸術を生み出そうとした動き、あるいはその作品を「新版画」といいます。江戸時代に流行した浮世絵は、明治末期には新たな印刷技術の普及とともに役目を終えました。しかしその後、技術を受け継いだ版元、彫師、摺師、そして画家が協業し、近代的な感覚を取り入れた芸術作品としての木版画、「新版画」の制作が始まりました。
この新版画を創始したのが、渡邊版画店(現在の渡邊木版美術画舗)の渡邊庄三郎(1885~1962)です。大正4年(1915)、来日中のオーストリア人画家フリッツ・カペラリに描かせた下絵を版画にしたことを皮切りに、渡邊のもとには橋口五葉や伊東深水、川瀬巴水、吉田博、エリザベス・キースなど新進気鋭の画家たちが集まりました。当時から欧米で販売を兼ねた展覧会を開催し、人気を広げていった新版画は、現在もなお国内外で愛好されています。
同時期に開催する特別展「蔦屋重三郎 コンテンツビジネスの風雲児」、「浮世絵現代」(会期:2025年4月22日~6月15日)とともに、木版画の技術と表現の広がりをお楽しみいただければ幸いです。
今回は川瀬巴水の代表作の一つ《増上寺之雪》が 42回も摺りを重ねていることがわかる展示になっていた。文部省文化財保護委員会が木版画の制作技術を記録するため、渡邊版画店に製作を委嘱した作品である。
川瀬巴水《増上寺之雪》1953年




川瀬巴水(1883 - 1957)は東京生まれの日本画家。27歳で鏑木清方に入門し美人画家として出発したが、35歳で伊東深水の「近江八景」を見て風景画家を志す。繊細な色彩と、郷愁を帯びた叙情感が、川瀬巴水の魅力である。「東京十二題」や「旅みやげ」シリーズは初期の代表作で、夜景や雨、雪の降る景色には独特の詩情が込められている。
以下、展覧会のキャプションの説明をもとに、川瀬巴水・吉田博の作品群を紹介していく。
「東京十二題」は大正8年(1919年)から2年をかけて作成された全12枚のシリーズで、川瀬巴水自ら選んだ東京の風景画描かれている。
川瀬巴水《東京十二題 大根がし》1920年
川瀬巴水《東京十二題 夜の新川》1919年
蔵や石垣の温かみのある質感は、バレン跡を残した「ざら摺」によるもの。
川瀬巴水《東京十二題 深川上の橋》1920年
夏の日暮れを描いた作品。空から水辺にかけてのグラデーションや、揺れる水面の表現がみどころである。
川瀬巴水《東京十二ヶ月 三十間堀の暮雪》1920年
「東京十二ヶ月」は「東京十二題」の好評を受けて制作されたシリーズ。本図に描かれているのは現在の銀座2~3丁目辺り。激しい吹雪の中でスケッチする巴水の傍らで、渡邊庄三郎が傘を差しかけていたと伝わっている。
川瀬巴水《旅みやげ第一集 陸奥 蔦温泉》1919年
「旅みやげ第一集」は旅に基づいて製作された初期の連作、全16図。川瀬巴水は東北地方から房総半島、北陸地方へ赴き、各地の印象的な風景を版画にした。本作は奥入瀬渓流の近くにある蔦温泉で、人知れず降り注ぐ寄りの雨を描いた作品である。
川瀬巴水《旅みやげ第一集 仙台 山の寺》1919年
仙台市にある龍門山洞雲寺を描いた一図。月明かりに照らされた仏殿、二天門、開山堂が藍色の諧調のみで幻想的に描き出されている。昭和18年(1943年)に焼失してしまう前の姿を今に伝えている。
川瀬巴水《旅みやげ第一集 房州 岩井の浜》1920年
川瀬巴水《旅みやげ第一集 金沢 浅野川》1920年
川瀬巴水《旅みやげ第二集 奈良 二月堂》1921年
「旅みやげ第二集」は旅先での写生にもとづく全28図からなるシリーズ。巴水は大正10年(1921年)に東海、関西、四国、中国、北陸地方へと赴き、各地の風景を描いては東京に戻り版画にする生活を送った。
川瀬巴水《旅みやげ第二集 晴天の雪(宮嶋)》1921年
川瀬巴水《旅みやげ第二集 月明の加茂湖(佐渡)》1921年
画中に月は描かれていないが、手前の小舟から遠景の大佐渡山地まで、一面が月明りに照らされ青色に染まっている。「旅みやげ第二集」にとりわけ多く選ばれた佐渡の風景は、巴水にとって心揺さぶられる場所だったようである。
川瀬巴水《旅みやげ第二集 越中氷見光照寺》1921年
吉田博(1876 - 1950)は福岡県久留米市出身。明治から昭和にかけて、風景画の第一人者として油彩や水彩、木版に取り組んだ。大正9年(1920年)、渡邊庄三郎の依頼により新版画制作を始める(のちに吉田博は自ら彫りと摺りを学び、渡邊正三郎の新版画とは別の道を歩んでいる)。
吉田博「帆舩」の連作において、版の色を変えることで、水面に映る光や空の色が刻一刻と変わる様子を描いた。
吉田博《帆舩 朝霧》1921年
吉田博《帆舩 日中》1921年
吉田博《帆舩 夕日》1921年
小規模な展示スペースであったが、川瀬巴水・吉田博をはじめとする新版画の魅力を再確認した時間であった。