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「没後190年 木米」展で江戸時代後期の文人の活躍を知る(サントリー美術館)

江戸時代後期に京都で活躍した陶工であり画家でもある文人、木米の展覧会「没後190年 木米」を見に、サントリー美術館へ出かける。

正直、木米についてはほぼ初めて聞く名前である。本名、青木八十八。そこから木米を名乗ったという。Webサイトから展覧会の概要を引用する:

江戸時代後期の京都を代表する陶工にして画家である文人・木米(もくべい・1767~1833)は、京都祇園の茶屋「木屋」に生まれ、俗称を「八十八」と言います。木屋あるいは氏の「青木」の「木」と、八十八を縮めた「米」に因んで「木米」と名乗りました。また、中年に耳を聾したことに由来する「聾米」のほか、「龍米」「九々鱗」「青來」「百六山人」「古器觀」などの号があります。 木米は、30代で中国の陶磁専門書『陶説』に出会い、これを翻刻しつつ本格的に陶業に打ち込みました。その作品は、優れた煎茶器から茶陶まで、多岐にわたります。熱心な古陶磁研究を土台に広い視野をもち、古今東西の古陶磁の美と美を、因習を越えて結びつけ新しい美をひらいていく創造性が木米のやきものにはあらわれています。 一方、木米がとりわけ50代後半から精力的に描いた絵画は、清らかで自由奔放な作風が魅力的です。その多くは友人への贈り物とした山水図であり、交友関係や木米自身の人柄を想像しながら鑑賞すると、より一層味わい深く感じられます。 さて、文人・木米を知る上で欠かせないものは、その壮大な遺言でしょう。「これまでに集めた各地の陶土をこね合わせ、その中に私の亡骸を入れて窯で焼き、山中に埋めて欲しい。長い年月の後、私を理解してくれる者が、それを掘り起こしてくれるのを待つ」と言ったと伝わります(田能村竹田『竹田荘師友画録』)。 本展では、当時の文人たちが憧れた木米の個性あふれる屈指の名品を一堂にご紹介いたします。木米の陶磁、絵画、交友を通して、その稀有な生涯と木米芸術の全貌に触れる貴重な機会となります。

詩書画三絶と言われた中国の高士。その中国に文化を学び、それを創作につなげている。陶器だけではなく書画も描き、展示物からその多才さがよくわかる。

18世紀半ば、煎茶道具を担いで移動茶店を開いた売茶翁に刺激され、煎茶道を嗜み、煎茶の茶器を多く作っている。急須、茶碗、そして煎茶を沸かすための涼炉。炉の中には賢人の姿を彫ったものもあり、それを模したバナーが展覧会の入り口に飾られている。

売茶翁と言えば…。NHKのテレビドラマ「ライジング若冲」石橋蓮司が演じていたユニークな仙人のようなキャラクターである。

www.nhk.jp

木米は、少年時代、池野大雅に師事した絵を50代以降に残している。田能村竹田らと親しく交流した。それを描いた安田靫彦の作品も展示されていた。

展覧会の後は、定番 HARBS のランチ。最近、ランチセットのハーフサイズのケーキとして、大好きなミルクレープが選べないので、我慢できずに1カット、家に買って帰った。

ミルクレープ、ストロベリーチョコレートケーキ