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特別展「画鬼 河鍋暁斎×鬼才 松浦武四郎」:やはり河鍋暁斎は凄い(静嘉堂文庫美術館)

五島美術館で数々の近代日本画を眺めた後に、河鍋暁斎を見に行く。静嘉堂@丸の内で開催されている特別展「画鬼 河鍋暁斎×鬼才 松浦武四郎」。

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Web サイト(チラシ)から展覧会の概要を引用する:

絵師・河鍋暁斎(1831~89)と、探検家で好古家、著述家、北海道の名付け親である松浦武四郎(1818~88)は、幕末から明治期を生きたマルチタレントです。二人の交流は明治の初め頃からあり、武四郎は愛玩品を集めた書物『撥雲余興(はつうんよきょう)』(当館蔵)等の挿絵を暁斎らに依頼しています。住いも近く、共に天神を信仰し、情に篤い二人の記念碑的作品は何と言っても「武四郎涅槃図」です。本展では、「武四郎涅槃図」とそこに描かれた、「大首飾り」(当館所蔵)をはじめとした武四郎愛玩の品々(武四郎記念館所蔵品と当館所蔵品)を同じ空間で展示し、「武四郎涅槃図」を立体的に再現します。さらに、武四郎の親友・川喜田石水(1822~79/川喜田家第14代)と実業家で陶芸も能くした川喜田半泥子(1878~1963/川喜田家第16代)、岩﨑小彌太(1879~1945/三菱第四代社長・静嘉堂初代理事長)との縁を紹介します。

幕末明治の多才な二人と、彼らを支えた人々の、古物(文化財)への情熱に思いを馳せる機会となれば幸いです。

冒険家・松浦武四郎が、奇想の天才・河鍋暁斎に描かせた《武四郎涅槃図》が以下である。

河鍋暁斎《武四郎涅槃図》(明治19年1886年

松浦武四郎が昼寝をする自分の姿を釈迦入滅の情景に見立てて、河鍋暁斎に描かせた一幅である。胸に自慢の大首飾り、腰に愛用の「火用心」煙草入れ。足をさすり亡き仏のは黒紋付姿の妻・とう。満月に沙羅双樹ならぬ常緑の赤松が映え、天上から駆け付けるのは仏母・摩耶夫人一行ではなく、古い画から飛び出した遊女たち。

「その手に描けぬものはなし」と称された暁斎らしい作品である。渡辺省亭同様、暁斎も一時期、日本の美術史から埋もれてしまったが、海外からも含めて再評価されている画家である。

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