Muranaga's View

読書、美術鑑賞、ときにビジネスの日々

『立花隆のすべて』『精神と物質』:25年の時を超えて

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新旧『立花隆のすべて』

あれ?またもや同じ本が2冊?

右は 1996年に発刊された文藝春秋の臨時増刊号『立花隆のすべて』(単行本化・文庫化されている)。左は25年の時を経て、2021年8月に出た『立花隆のすべて』。今年 4月に 80歳で亡くなった立花隆を、さまざまなインタビューや記事を通して振り返る特集ムック本である。

新しいムック本では、ジャーナリストとしての立花隆を世に知らしめた「田中角栄研究」全文と、それに対する池上彰の解説が掲載されている。また司馬遼太郎山中伸弥との対談に、人文科学・社会科学・自然科学を平気で横断する立花隆が表れている。NHKスペシャルの科学特番(「がん 生と死の謎に挑む」「サイボーグ技術が人類を変える」など)を一緒に作った岡田朋敏ディレクターが回想記事を寄せているが、科学ジャーナリストとしての立花隆の姿を知ることができる。

また『理不尽な進化』の吉川浩光、『独学大全』の読書猿といった 21世紀の知の探索者たちが、立花隆について寄稿している。奇しくも両人とも、立花隆について「知の巨人」という言い方はふさわしくない、知の伽藍を築く人ではなく、知の荒野を行く人、恐れを知らぬ知の旅人である、と言っているのが興味深い。

そして2000年以降の東大立花ゼミの卒業生の代表として、立花隆の書生・弟子と自称する緑慎也が、立花隆が最期に書きたいと言っていた哲学の本、『形而上学』(メタフィジックス)の草稿を紹介している。

新しいムック本では1996年の臨時増刊号の一部を再編集して掲載している。猫ビルの紹介、梅原猛筑紫哲也野坂昭如中野不二男野村進などによる立花隆についての当時の記事を、懐かしく再読することができた。あの頃ちょうどインターネットが爆発的なブームを迎えていたが、これが一過性のものかどうか、という議論も当時はされていたのだな、と思い出した。

ジャーナリストとしての立花隆について。人文・社会系(いわゆる文系)の人にとっては「田中角栄研究」が衝撃だったようだが、自然科学系(いわゆる理系)の人間にとっては、『精神と物質』や『脳死』『サル学の現在』が衝撃だった。徹底した科学ジャーナリズムというのだろうか。原論文を読み込むなどインタビューの前の綿密なリサーチ、それに基づく本質を問う質問の投げかけ。それを通して、研究者の素顔を明らかにするとともに、読者に研究テーマの意味・意義を伝え、その理解を助けてくれる。

その最たるものが『精神と物質』であった。この本を読んだのは、約30年前、30歳の時である。もう一度読み返してみた。そしてもう一度感動した。

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立花隆利根川進『精神と物質』単行本

利根川進博士がノーベル賞受賞したのが 1987年。その「100年に一度」という成果の内容を、立花隆が 20時間に及ぶインタビューの中で、明らかにしていく。高校レベルの生物の知識を前提に、分子生物学の基礎を学びつつ、ノーベル賞の対象となった研究「抗体の多様性生成の遺伝学的原理の解明」の内容がわかるという優れものの本である。

利根川博士がどういう仮説を立て、その検証をするために、どういう実験を行ったか。そのためにはどのような準備を行っていたか。一流の科学者としての生き方・考え方が紹介され、またその人生におけるさまざまな師弟関係や科学者との交流も、人間味があふれるもので面白い。それと同時に、分子レベルで生命現象を解明していく分子生物学の創成と発展を描いたドキュメンタリーになっている。

当時 30歳だった僕にとって、利根川進という科学者はヒーローであり、また立花隆という科学ジャーナリストもヒーローであった。

ムック本『立花隆のすべて』の中に、「好き嫌いこそすべての始まり」という立花隆の文章が掲載されている。そこにあるように立花隆は、理系・文系という人為的な境界を越えて、好きなこと、興味のあることに対する好奇心を突き詰めていった。学ばんとする意志。圧倒的なインプットから出てくるアウトプット。その強烈な権化が立花隆であったと思う。そのインプットの一端を示した『僕はこんな本を読んできた』などの読書日記も、興味深く読んだものである。