日曜日に受けたワクチン接種の副反応がまだ残る水曜日。午後半休を貰って、神奈川県立音楽堂で開催のピアノ・リサイタルに出かける。映画『蜜蜂と遠雷』で高島明石役のピアノ演奏を行った福間洸太朗による「オール・ショパン」。平日昼間の公演にも関わらず女性客・シニア客を中心に多くの観客が訪れていた。
プログラムは次の通り:
- ワルツ 第1番「華麗なる大円舞曲」 op.18
- ノクターン 第8番 op.27-2
- スケルツォ 第1番 op.20
- ピアノ協奏曲 第2番より 第2楽章 ラルゲット(ピアノ独奏版:ライネッケ編曲)
- 幻想曲 op.49
- 休憩
- ノクターン 第2番 op.9-2
- ポロネーズ 第6番「英雄」op.53
- ピアノ・ソナタ 第2番「葬送」 op.35
ピアノの前に座るなり、すっと弾き始めた馴染み深いワルツ「華麗なる大円舞曲」の後、福間洸太朗さん自らがマイクを持って、今日のプログラムを紹介した(「大円舞曲」の演奏の最中、高周波の音が気になったが、ワイヤレスマイクのスイッチが入っていたのではないだろうか):
昨年のショパン国際ピアノコンクールの配信を聴き、若きピアニストたちの素晴らしい演奏に感動した。それに対抗して、このプログラムにした。…という訳ではない(笑)。39歳になった。ショパンの亡くなった歳である。高校を卒業して 19歳で留学した時に「音は出せるけど解釈はまだまだ」と言われて悔しい思いをした。そのピアノ・ソナタ「葬送」を、ショパンと同じ数だけ歳を重ねた自分の解釈で弾きたい。
ノクターンからスケルツォへは間を置かず移行する。ミスタッチがなく滑らかで耳心地のいいショパンの演奏である。ピアノ協奏曲第2番のピアノ独奏版より、第2楽章のラルゲットは、オーケストラ版とはまた違った味わいで興味深かった。
休憩後の後半のプログラムは、誰もが知るショパンの名曲集。もっとも有名なノクターン op.9-2 の優しいメロディから、そのまま壮大できらびやかな「英雄」ポロネーズに移行する。ゆったりとしたノクターンから、勇壮な「英雄」へ。美しい和音と目まぐるしい跳躍によって作られる華やかなメロディが展開する。そして福間さんが最後の演目である「葬送」ソナタを弾き上げると、万雷の拍手であった。端正なショパン。そんな印象の演奏であった。
アンコールは左手だけで演奏したショパン風のノクターン。左手だけで主旋律と伴奏を弾き分け、ペダリングで音色をコントロールする。素晴らしいテクニックである。「誰の曲だろう?」と思ったら、福間さんから紹介があった:
スクリャービンの左手のためのノクターン。作品番号 op.9-2 がショパンのノクターン第2番と同じ、というつながりもあって演奏した(笑)。今年はスクリャービンの生誕150年にあたり、来年は一つ年下のラフマニノフの生誕150年になる。今、ロシアは戦争を起こしているが、ロシアの芸術家たちは戦争を望んではいなかっただろう。これからもスクリャービンやラフマニノフを弾いていくつもりである(拍手)。
アンコールの2曲目は、今日どうしても弾きたかった曲。コロナ禍でオンライン配信をする際に、レアなピアノ曲を取り上げた。その第1回に演奏した曲を作ったのが、実はウクライナ人であった。当時取り上げたのはたまたまで偶然ではあるが、ウクライナの平和を祈り、ウクライナの人にエールを送るために、最後にこの曲を演奏する。レヴィツキの「魅惑の妖精(The Enchanted Nimph)」。
福間洸太朗さん自身が、リサイタル後にツイートされていた:
本日の横浜公演にお越し下さった皆様、主催者様、有難うございました!
— Kotaro Fukuma/福間洸太朗 (@KotaroFukuma) 2022年3月2日
ショパンの誕生日(トイワレテルヒ)の翌日にオールショパンプロ、そしてスクリャービン🇷🇺とレヴィツキ🇺🇦を自分なりのメッセージを込めてアンコールに弾かせていただき、大変印象深い演奏会となりました。 https://t.co/DQ1OvseD9W
楽しい午後のひと時を、美しいピアノ曲を聴いて過ごせたのは至福であった。こういう時間を増やしていきたいと、改めて思った。
「華麗なる大円舞曲」やノクターン op.9-2 などは、高校生の頃に、たどたどしくも何とか最後まで弾き通していた曲である。基礎練習が嫌いなので上達することもなく、ポロネーズやスケルツォ、エチュードに行けないまま、何となくピアノを弾くのをやめてしまった…。あれから40年以上の時間が経っている。あぁ、またピアノを弾いてみようかなぁ…。
神奈川県立音楽堂は「木のホール」で、音響もよかったと思う。小川格『日本の近代建築ベスト50』でも紹介されているモダニズム建築である。日本人として初めてル・コルビュジエに弟子入りした前川國男による設計。
コンサートホールの後部座席が上がっている傾斜をそのまま天井にしているため、中庭に向かって大きな窓が開いた明るいロビー。(小川格『日本の近代建築ベスト50』(P.56)