The Economist のスペシャルレポート "A world of connections" の内容を日本語でまとめてみたが、実を言うとこのレポートを読んだ時に、どうしても拭い去れない「違和感」があった。
このレポートは、Facebook、Twitter といったソーシャルネットワーキングがネットワーク効果により急速に利用者数を伸ばし、さらにはその企業版がさまざまなシーンで活用されている現実を紹介している。その中で、
- ビジネスモデル・収益の可能性:広告、ゲームやバーチャルグッズの販売、プレミアム課金、検索エンジンへのデータ提供
- スモールビジネスの成長へもたらした効果
- 企業応用:情報収集や採用プロセスの効率化、アイディア醸成、専門家・知識マネジメント
- 粒度の高いプライバシー制御による、実名・実プロフィールに基づくコミュニケーションの促進
- 携帯電話と共に普及する位置情報ベースのアプリケーションの可能性
翻って日本でも、コンシューマ向けに mixi や GREE、DeNA などのソーシャルネットワーキング・サービス(SNS)が発達しており、その収益も広告、バーチャルグッズ販売などから成立している。Twitter で自社サービスの広報を行って、潜在顧客を集めておくという試みも行われている。mixi へのアクセスも携帯電話からの方が多くなり、さらには iPhone から位置情報を使ったオンラインゲームに参加することも広く行われつつある。
その意味では、上記 1, 2, 5 については日本でもあてはまるのだが、「違和感」を感じるのは 3 の企業応用と、4 のプライバシーの問題である。
企業内 SNS によりコミュニケーションを促進という話は、日本でもよく聞く。その一方で、mixi や Facebook のようなサイトへのアクセスを禁じている話もそれ以上によく聞く。この記事でも就業時間中にソーシャルネットワークにアクセスすることの是非について論じられているが、それを禁じたところで従業員がその時間を仕事にまわすとは限らないし、iPhone などでアクセスできる以上、会社からのウェブアクセスを禁じるのは無駄と断じている。そしてむしろ、ソーシャルネットワークによる情報取得の効率化、インフォーマルな議論の活性化によるアイディア醸成といったポジティブな効果を強調している。Twitter が立ち上がりつつある今、この辺りの議論は、おそらくこれから日本でも繰り返されることであろう。
グローバルなソーシャルネットワークには実名・実プロフィールで参加することが前提とされている。これにより企業の人材採用・活用などへの応用可能性が開かれている。一方、日本ではどうだろうか?企業内 SNS では実名が使われたとしても、オープンなインターネット上では実名を使う方が少数派と考えられる。最近日本でも流行りだした Twitter については、知人に見つけてもらうために自分の名前をプロフィール欄に記しておくことが多いようだが、その他の SNS やブログについては、日本ではニックネームベース、匿名で行うことが一般的である。
Google Buzz は Gmail の拡張として開始された SNS のため、実名ベースであり(これだと日本では普及しないだろう)、かつ自分のアドレス帳でのつながりがそのままソーシャルな関係として使われるというものであった。さすがにこの仕様は、日本だけでなく国際的にも問題となっている。しかしながらプライバシーについて言えば、できる限り秘匿してあらぬ軋轢を避けたいと考える日本の利用者と、適切な制御がなされるならば、ある程度開示してもよいと考える日本以外の国の利用者とで、温度差があるように思う。少なくともこのスペシャルレポートを読む限り、記事に書かれている事例に対して、日本の読者として、ある距離を感じざるを得なかった。
しかし、逆にこの距離を感じるのが日本人だけだとしたら?適切なプライバシー制御のもと、実名・実プロフィールベースでコミュニケーションするのがグローバルの常識(グローバル・スタンダード)なのだとしたら?
多くの日本人にとってはあまり問題にはならないだろう。日本の中で閉じているコミュニティに参画している限りにおいては、今まで通り匿名で続けていけばよい。このことが問題になるのは、海外で活躍したいと思っている人や、グローバルに事業を展開していく企業・組織体であろう。日本の常識が海外では通じない、あるいは日本で培ったノウハウやプロセスが海外では活かせない可能性が高い。
ぼく自身は、この業界に携わる者としてこのギャップを少しでも軽減すべく、実名ベースでインターネットに接しているが、多くの人にとって、実名ベースでの情報発信・コミュニケーションへ移行するには、かなりの心理的なハードルがあると考えられる。英語という言語の問題に加えて、実名・実プロフィールという文化の問題が、グローバルそのものであるインターネットにおいて、大きな課題となる気がしてならない。