週末はあいにくの雨だが、花見の人出も落ち着いたと思われる上野へ、博物館・美術館巡りに出かける。
まずは東京国立博物館、トーハクの「特別展 東福寺」へ。正直、東福寺が凄い仏教美術の宝庫だとは知らなかったのだが、BS日テレ「ぶらぶら美術・博物館」で、そのスケールの大きな仏像群や壮観な五百羅漢図が紹介され、ぜひ行こうと思った。翌日の NHK「日曜美術館」で紹介されると、混雑が予定されるので、その前に…。
展覧会のサイトよりみどころを引用する:
新緑や紅葉の名所として知られる東福寺は、京都を代表する禅寺の一つです。日本から中国へと渡り、南宋時代の高僧無準師範に禅を学んだ円爾(聖一国師)を開山に迎えて創建されました。「東福寺」の名は、奈良の東大寺と興福寺になぞらえて、その一字ずつをとったことに由来します。
東福寺の寺宝をまとめて紹介する初の機会となる本展では、「画聖」とも崇えられる絵仏師・明兆による記念碑的大作「五百羅漢図」全幅を修理後初公開するともに、応仁の乱による戦火を免がれた貴重な文化財の数々や、巨大伽藍にふさわしい特大サイズの仏像や書画類の優品も一堂に展覧します(※会期中展示替えがあります)。草創以来の東福寺の歴史を辿りつつ、大陸との交流を通して花開いた禅宗文化の全容を幅広く紹介し、東福寺の日本文化における意義とその魅力を余すところなくご覧いただきます。
「伽藍面」と称されるほどスケールの大きな伽藍で知られる東福寺。その開祖・円爾(1202 - 80)、その師匠である南宋の無準師範(1177 - 1249)、そして「聖一派」と呼ばれる弟子の系譜を、僧の肖像図や遺偈(=韻文による禅僧の遺言)などの展示を通して、辿っていく。
吉山明兆(1352 - 1431)は室町時代初期の絵仏師で、江戸時代までは「画聖」と称えられるほどであった。生涯、東福寺の殿司(=禅宗で仏殿の清掃を受け持つ役僧)として貫きつつ、絵仏師として数多くの色鮮やかで壮大な作品を残している。
この展覧会と同時期に、東福寺で公開されているのが、明兆 57歳の時の作《大涅槃図》(1408年)である。100年ぶりに 4年の歳月をかけて令和の大修理が行われた。縦 11m、横 6m の巨大な涅槃図で、入滅する釈迦がほぼ等身大で描かれ、そのまわりに嘆き悲しむ人々や動物が描き込まれている。絵を描いている時にずっと猫がついて離れなかったので、その猫も涅槃図の中に描いたと言われている。展覧会では、グラフィックによる複製があり、写真撮影可能である。
そして今回、14年にわたって修理が行われた《五百羅漢図》が公開されている。明兆 35歳の時に完成したもの。全50幅からなり、1幅あたり 10人の羅漢が描かれている。さまざまな表情をした羅漢たちの神通力や功徳が、水墨表現と極彩色で表現されている。大きな一つの部屋の周囲をぐるっと《五百羅漢図》が並んでいるのは、なかなか壮観である。
第17号幅では、白蛇の口に杖でつっかえ棒をして、そこを座禅の場としている羅漢の様子が描かれているし、第20号幅では、さまざまな猛獣たちを手なずけ、乗って旅をしている羅漢たちがいて、それを後ろの方で鬼が何とも言えない表情で見送っている。羅漢たちの表情、細かな衣装にも注目である。
明兆 70歳の時に、さらに大胆な水墨表現を行っているのが、《白衣観音図》である。高さ 3m 26cm、幅 2m 81cm という見上げるような大きさの絵であり、観音様が等身大に描かれている。これにより、東福寺を訪れた人々は、観音様がすぐ近くにいる臨場感をおぼえたことであろう。観音様の表情を描く筆致と、白衣の襞、波、背景の崖を描く筆致の違い。おそらく雪舟も、この絵を参考にしたことであろう。
明兆は「兆殿司」と親しまれ、江戸時代までは雪舟より評価も人気も高い絵師であったが、明治以降、室町時代以降の仏画が低く評価されるのに伴い、忘れられていった存在である。正直、僕もまったくこの名を知らなかったが、今回、改めてそのスケールの大きさ、鮮やか彩色、自由な水墨表現の素晴らしさに心を動かされた。この展覧会が、明兆を再び評価するきっかけになるのかもしれない。
東福寺は明治14年の火事で旧本尊は焼失してしまった。この旧本尊は高さ 7.5m という釈迦如来坐像という大仏であり、今回、焼け残った左手と光背につけられた化物が展示されていた。
そして同じフロアには、慶派の作である四天王像、東福寺の塔頭である万寿寺の金剛力士像が立ち並び、壮観であった。
東福寺の中には通天橋という橋がかかっており、そこからの紅葉の眺めが素晴らしい。今回、その再現展示がされていた。
また方丈の四方には、作庭家・重森三玲が「八相の庭」作っている。東西南北、それぞれモダンでユニークな庭となっている。
「特別展 東福寺」は、巨大伽藍が仏教芸術の宝庫であることを示し、忘れられた画聖・明兆の色鮮やかで壮大な作品群が、その魅力をあますことなく伝える素晴らしい展覧会であった。さすが、東大寺と興福寺から一字づつもらって、当時の高僧・円爾が開いただけのことはある。数々の至宝に出合える展覧会であった。
前述したように、今回の東福寺については、BS日テレ「ぶらぶら美術・博物館」で予習をし、また『芸術新潮 2023年4月号』がよいリファレンスになった。また展覧会に行った翌日に放映された NHK「日曜美術館」は、画聖・明兆の魅力をあますことなく伝えていた。
www.nhk.jp
展覧会に行った日の夜に放送された BSテレ東「新美の巨人たち」では、明兆だけでなく、庭師・重森美玲による東福寺の「八相の庭」を紹介していた。
ネット「美術館ナビ」のガイド記事も参考になる。
昼食はトーハクにあるホテルオークラのレストラン「ゆりの木」にて、特別展限定メニュー、京鴨南蛮そばとミニかき揚げ丼をいただく。