Muranaga's View

読書、美術鑑賞、ときにビジネスの日々

リュックタイプのビジネスバッグを新調した

通勤用に使っているのはバッグはリュックタイプ。以前は TUMI のショルダーバッグを愛用していたが、左右のバランスを保つためにエースのビジネス・リュックに替えた。軽量で腰への負担も少ない。ビジネス・リュックを使い始めて、5年が経ち、ファスナーが壊れたり、ファスナーの布に穴が開いたりしてきたので、新調することにした。

f:id:muranaga:20210114123150j:plain

といっても、全く同じ形状のビジネス・リュックで、年式が違うだけ。実は1年ほど前、デパートで型落ち品として安く売られていたのを見つけて、買っておいたものである。

f:id:muranaga:20210114123512j:plain
2015年モデルと2016年モデル

左の2015年のモデルから、右の年のモデルへ、新調したことになる。ファスナーなどが変わっているだけで、全く同じ形のモデルである。このモデルは、今はもう販売されていない模様。買っておいてよかった。

軽くて薄い(42cm x 29cm x 11cm)。13インチの PC やタブレットが収納可能。A4 ファイルが収納可能。3つの気室に分かれていて、一番下には折り畳みの傘やモバイル電源を入れる。一番外側のポケットは撥水加工されており、雨に降られても、電源やイヤフォンなどのケーブルに影響がない。出張用のキャリーバッグにセットアップして、一緒に引っ張って運ぶこともできる。

そして色がグリーンであることも気に入っているポイントの一つである。

実際に詰め替えてみると、たくさんある収納ポケットに、不要なものが残っていた。出張時の万一に備えた風邪薬・痛み止め、花粉症の目薬、のど飴。マスクも5枚ほど入っていた。ちょっとした断捨離をしてすっきり。また新たな気持ちで、出社できる。

…といっても、ほとんどリモートワークの状態なんですけど。

[エースジーン] リュック 54673 ネイビー

[エースジーン] リュック 54673 ネイビー

  • メディア: ウェア&シューズ

「没後70年 吉田博展」(東京都美術館)にて、200点もの木版画を堪能する

「没後70年 吉田博展」が、東京都美術館で1月26日より開催されている。吉田博(1876 - 1950)は、洋画家としての卓越した技術と、日本の伝統的な版画技法を統合することにより、独創的な木版画制作を確立した画家である。吉田博の絵は海外での評価が高く、ダイアナ妃やフロイトがその版画を所有していたことでも知られている。この展覧会では、吉田博の後半生における250数点もの木版画の中から、200点弱を一挙公開して、その魅力を追求する。

yoshida-exhn.jp

f:id:muranaga:20210130094912j:plain

f:id:muranaga:20210130121808j:plain

東京都美術館の広いフロアを使って、これだけ多くの吉田博の木版画をじっくり観ることができるのは、至福である。油彩画・水彩画に見られる微妙なグラデーションやぼかしを、緻密に計算されて彫られた版木を組み合わせ、平均で 30数回、最多で 96回という摺りを重ねることで、木版画上で実現していく。できあがった作品は「これが版画なのか?」と思うような写実的な絵となっている。

大自然を愛した登山家でもあり、何日も山に露営して、その変化の一瞬の美しさをとらえた風景画が多い。そして日本だけではなく、米国・欧州・アジア、世界各国を旅した画家でもある。変化する山の空気、湿気を帯びた日本の空気、あるいは乾いた砂漠の空気…。その場所の空気までもが感じられるようだ。

日本画家であった川瀬巴水の版画は、よりコントラストを強調した色彩であり、また風景の中に人物を登場させるなど、抒情性が感じられるが、それとは違った魅力を、吉田博の版画は放っている。川瀬巴水が伝統的な浮世絵の延長線上で版画を制作していったのに対し、吉田博は西洋美術の技法を日本の木版画に取り入れ、その表現を磨いていったと考えられる。

f:id:muranaga:20210130114622j:plain

吉田博が木版画制作を手掛けるようになったきっかけは、「新版画運動」の渡邊庄三郎である。伊東深水川瀬巴水笠松紫浪といった日本画家による絵で新しい版画出版を行っていた渡邊庄三郎にとって、洋画家の吉田博を採用することは念願であった。渡邊版の版画を8点作った後、吉田博は独自の監修で木版画を作り始める。そのきっかけになったのは、関東大震災で被災した画家仲間(太平洋画会)救済のためにその作品800点を販売すべく渡米した時に、渡邊版木版画が好評であったこと、さらには幕末の粗悪な浮世絵でさえ高値で取引されているのを見たことであるらしい。海外の人に見せても恥ずかしくない、日本人ならではの木版画を自分の手で作ることを決意して帰国したと考えられている。

渡邊版では下絵師に過ぎないという不満もあっただろう、吉田博は「絵師こそが創作者。彫師・摺師はそこに従属する」という思いのもとに、自らが中心となって版画制作を行うシステムを作り上げていく。彫師・摺師を厳しく指導するためには、自らもできないといけないと、彫りや摺りを一から学び、職人顔負けのレベルになったと言う。信頼のおける彫師・摺師を専ら起用、つきっきりで厳しく注文を出し、妥協を許さなかった。時に職人には任せておけず、自らが彫る場合もあった。齢 49歳。洋画家であった吉田博は、以降、木版画制作に集中していく。

吉田博は同じ版木で、異なる摺りにより、刻一刻と変わっていく光を表現している。朝、午前、午後、霧、夕、夜を摺り分けた《帆船》の6連作はその代表と言える(写真はマスクケース。チケットホルダーにもなる)。

f:id:muranaga:20210130171347j:plain

f:id:muranaga:20210130171403j:plain

また 70cm もの大きな作品を作ったのも吉田博である。紙が大きくなればなるほど、水分を含んだ紙の伸縮が大きくなり、「見当」と呼ばれる摺りを合わせる目印が合わなくなるはずだが、職人との二人三脚で、少しもズレのない大作を生み出している。

木版画技法を追求し続けた吉田博は、独創的なイノベーターであり、海外でも評価が高い。その原点は 1899年、23歳の時に決死の覚悟で渡米したことにある。1893年にフランス留学から帰国し、東京美術学校の教授となった黒田清輝とその一派に対して、「旧派」と呼ばれるようになった吉田博ら洋画家たちに、国費留学のチャンスはない。吉田博は片道分の旅費を借り受け、中川八郎と一緒に、自費での渡米を決行する。日本で吉田博の水彩画を買ってくれたチャールズ・フリーアの紹介状が唯一の頼りであった。フリーアは旅行中で会えなかったが、訪れたデトロイト美術館でグリフィス館長に水彩画を見せたところ、その素晴らしさに驚いた館長が二人の展覧会を開いてくれた。そこで水彩画が売れて、吉田博は現在の貨幣価値で数千万円に相当する $1,234 を手にする。さらには紹介してもらったボストン美術館で $2,785 を売り上げる。渡米でわずか 2ヶ月での「アメリカン・ドリーム」の実現、「デトロイトの奇跡」とも言えるできごとであった。

その後、吉田博は何度か渡米・渡欧して、インターナショナルな活躍を見せる。そして 1925年の渡米をきっかけに、木版画制作に打ち込んでいくことになる。今回の展覧会は、質・量ともに、吉田博の木版画の魅力を十二分に堪能することができる。

f:id:muranaga:20210130171420j:plain
「没後70年 吉田博展」公式図録

200点もの作品を収めた公式図録は、must-buy である。大きめの図版で、じっくり展覧会の作品を振り返ることができる。孫の吉田司氏が、博の生涯、そして数々の興味深いエピソードについて記している。この展覧会の図録やグッズは、毎日新聞社のサイトでも購入することができる。

www.mainichi.store

2017年に「生誕140年 吉田博展」が開催された時に購入した、以下の本も紹介しておく。

『吉田博作品集』は、吉田博の後半生の木版画だけでなく、前半生の洋画家としての油彩・水彩画も詳しく紹介している。アメリカでの活躍、因縁の黒田清輝(白馬会)への対抗、妻・吉田ふじをへの厳しい指導、自らが指揮する木版画制作のシステム確立についてのエピソードが興味深い。中でも、終戦直後、吉田博の家は進駐軍に接収されかけたが、博自らが抗議して撤回させた話は、常に反骨の人であったことを象徴している。その後、吉田博の家は進駐軍のサロンのようになり、博が木版画の技法を将校たちに講義したこと、マッカーサー夫人が版画を見に来たことなど、面白い話が紹介されている。

『吉田博全木版画集』は、吉田博のすべての木版画を掲載している。ただし図版が小さいものが多いのが残念だ。吉田博の長男・次男による個人的なエピソードの紹介、終戦後に吉田博の家を訪ねた米国人による当時の話などが興味深い。欧米人の視点から、なぜ吉田博の木版画が評価されるのか。まず変わりゆく自然を映し取った風景画としての魅力。それに加えて、写実的な西洋美術の技法を木版画の上で究極まで追求、西洋と日本の美術の「融合」により到達した独創的な表現が、その一つの答えと言えそうである。

muranaga.hatenablog.com

厄除けと散歩を兼ねて「横浜七福神」巡りをしてみた

今年還暦を迎える。つまり本厄の年にあたる。お祓いの代わりにはならないと思うが、厄除けと散歩を兼ねて、地元である横浜・港北の七福神巡りをすることを思い立った。「横浜七福神」巡りとして、横浜日吉新聞に紹介されている。

hiyosi.net

個人的には「横浜港北七福神」くらいが適切だと思う。休日の午後、3日かけて巡ってみた。

1月9日:菊名池弁財天(妙蓮寺) → 蓮勝寺・毘沙門天菊名) → 正覚院・大黒天(新横浜)

東急東横線妙蓮寺駅下車。実は小中学生の頃、ピアノを習いに毎週通っていた懐かしい駅である。同じく小学生の時に来たことのある菊名池プールまで徒歩数分。プールの横に小さな社があって、そこに弁財天が祀られている。財運と音楽・芸能の神様。そうか、小学生の頃ここにお参りしていれば、ピアノももっと上手くなれたのかもしれない。ただし、ここの弁財天は、琵琶ではなく、剣と宝玉を持っている。剣は魔除け、宝玉は招福とのこと。

f:id:muranaga:20210109140400j:plainf:id:muranaga:20210109140540j:plain
菊名池弁財天

ここから東横線沿いに蓮勝寺(浄土宗)へ歩く。毘沙門天が祀られている。

f:id:muranaga:20210109143337j:plainf:id:muranaga:20210109143205j:plain
菊名山蓮勝寺・毘沙門天

そして菊名駅から新横浜駅方面へ向かう。右に左に曲がる道。橋の跡。おそらく川だったと思われる道を歩く。もしかしたら暗渠なのかもしれない。

f:id:muranaga:20210109145144j:plainf:id:muranaga:20210109145012j:plain
昔は川だった?

この道沿いに、人気のパン工房シャンドブレレストラン Maison HANZOYAが並んでいる。

f:id:muranaga:20210109150138j:plainf:id:muranaga:20210109150133j:plainf:id:muranaga:20210109150206j:plain
レストラン Maison HANZOYA、パン工房 Champs de Ble

さらに数分歩くと、正覚院曹洞宗)にたどり着く。大黒天である。

f:id:muranaga:20210109150804j:plainf:id:muranaga:20210109150907j:plain
豆戸山正覚院・大黒天

1月11日:金蔵寺・寿老人(日吉本町) → 東照寺・布袋尊綱島

東急東横線日吉駅下車。慶応普通部の裏を通って、日吉台という高台を歩くこと 10分で金蔵寺天台宗)に着く。七福神の寿老人が祀られている。

f:id:muranaga:20210111133057j:plainf:id:muranaga:20210111133206j:plain
清林山金蔵寺・寿老人

寿老人のお寺でありながら、立派な弁天堂がある。ここに上ると眺めがよい。そして龍の天井画と装飾が立派である。

f:id:muranaga:20210111133252j:plainf:id:muranaga:20210111133504j:plain
金蔵寺:本堂と辯天堂

f:id:muranaga:20210111133659j:plainf:id:muranaga:20210111133714j:plain
金蔵寺・辯天堂の天井画と装飾

日吉台を下り、真っ直ぐな道を綱島駅方面に向かって歩く。この辺りは、昔、会社の独身寮や社宅があったところだ。そして綱島台という高台を越えていく。これがなかなかの上り坂。

f:id:muranaga:20210111135703j:plainf:id:muranaga:20210111135818j:plain
綱島台に向かう坂

ようやく東照寺曹洞宗)にたどり着く。立派なお腹の布袋尊がいた。

f:id:muranaga:20210111141814j:plainf:id:muranaga:20210111141758j:plain
綱島山東照寺・布袋尊

久しぶりに綱島駅に来てみたら、スターバックスが入って、ちょっと小綺麗になっていた。日吉台綱島台という二つの高台を歩いたこともあり、お腹も空いた。地元の鯛焼き屋で、鯛焼きとたこ判を買って帰った。

f:id:muranaga:20210111145602j:plainf:id:muranaga:20210111182023j:plainf:id:muranaga:20210111182123j:plain
新世界:鯛焼きとたこ判

1月17日:興禅寺・福禄寿神(高田)→ 西方寺・恵比寿大神(新羽)

この日は歩きではなく、車で二つの寺を訪ねる。実は、新吉田と高田を結ぶ幹線道路(宮内新横浜線の一部)が昨年12月に開通したので、それを通ってみるという隠れた目的もあったのだ。今回の開通により、新横浜から新羽、新吉田を経て高田までが直線的につながったことになる。

travel.watch.impress.co.jp

興禅寺天台宗)は市営地下鉄グリーンライン高田駅から、結構な上り坂を上ったところにある。車で来たのは正解だった。福禄寿神のお寺である。阿形、吽形の金剛力士像がある山門がある。

f:id:muranaga:20210117143912j:plainf:id:muranaga:20210117143927j:plain
圓瀧山興禅寺・福禄寿神

f:id:muranaga:20210117144002j:plainf:id:muranaga:20210117144122j:plain
興禅寺:金剛力士像がある山門

市営地下鉄ブルーライン新羽駅から徒歩5分。西方寺真言宗)は「花の寺」として知られ、特に彼岸花が有名であり、僕も毎年訪れている。七福神恵比寿大神が祀られている。長い参道の先に茅葺き屋根の山門、そして本堂がある。

f:id:muranaga:20210117150159j:plainf:id:muranaga:20210117150319j:plain
補陀洛山西方寺・恵比寿大神

f:id:muranaga:20210117151150j:plainf:id:muranaga:20210117150450j:plain
西方寺:茅葺きの山門と本堂

蝋梅(ろうばい)がこれから見ごろを迎えるところであった。

f:id:muranaga:20210117150617j:plainf:id:muranaga:20210117150631j:plain
西方寺:蝋梅

muranaga.hatenablog.com

横浜七福神を祀っているいずれの寺も、今年は御朱印などを扱っておらず、参拝する人はほとんどいなかった。それぞれの寺にその土地の名前を示す「山号」がつけられている。菊名山蓮勝寺、豆戸山正覚院、清林山金蔵寺綱島山東照寺…。実際に、山を背にして、立派な本堂が建てられた寺が多い。そして寺それぞれに独特の風情がある。

「横浜七福神」の寺巡りは、横浜港北を歩くよい機会であったと思う。本厄の年だけれども、災いなく平穏な日々が送れますように!

SD カード(安全運転ドライバーカード)を取得した

SDカードというと、ふつうは SDメモリカードを思い浮かべるが、そうではなくて、安全運転ドライバーであることを示す SDカード(Safe Driver Card)というのがある。これを僕のホームコースである入間カントリー倶楽部のフロントでチェックインの時に提示すると、練習場のコインが1枚もらえるということがわかったので、早速申し込んだ。

運転経歴の証明書を取得すると、同時に SDカードを発行してくれる。1年間有効で、取得には 670円かかる。ゆうちょの振込手数料がかかるので、約900円。練習場のコインは 1枚 300円なので、3回で元が取れる。ホームコースには年間 15回は行くので、1年で 3,000円 - 4,000円、お得になる勘定だ。申込書(振込用紙)は、フロントに置いてある。埼玉県の自動車安全運転センターへの申し込みになるが、埼玉県以外に在住していても、この申込書で申請することができる。

僕の場合は、20年以上無事故無違反なので「SDスーパーゴールドカード」である。えっへん。

f:id:muranaga:20201222085308j:plain
SDスーパーゴールドカード

muranaga-golf.hatenablog.com

思わずジョギングの足を止めてしまった

早朝の鶴見川。立ち昇る川霧と朝日が織りなす幻想的な光景に、思わずジョギングの足を止めてしまった。

f:id:muranaga:20210113064925j:plain
新羽方面

f:id:muranaga:20210113065008j:plain
新横浜方面

f:id:muranaga:20210114094125j:plain
富士山

f:id:muranaga:20210113065313j:plain
富士山と日産スタジアム

f:id:muranaga:20210113065505j:plain
川霧

f:id:muranaga:20210113065509j:plain
川霧

新型レヴォーグ:車載インフォテインメントのソフトウェア基盤は Linux と推測

新型レヴォーグの顔とも言える大きな縦型のセンターインフォメーションディスプレイ。情報とエンターテインメントを扱うことから、車載インフォテインメント(英語では IVI: In-vehecle Infortainment)と呼ばれるシステムである。iPad のようなタブレットが車に載っており、地図によるナビゲーション、音楽、テレビ、ラジオ、電話といったアプリケーションが動き、さまざまな設定を行うことができる。スバルはこの IVI システムを STARLINK と名付けている。

f:id:muranaga:20201227124750j:plainf:id:muranaga:20201227124735j:plain
レヴォーグの IVI:センターインフォメーションディスプレイ

このセンターインフォメーションディスプレイで何ができるのか、わかり易く紹介した動画がある:


【新型レヴォーグ】「センターインフォメーションディスプレイ」を細かくチェック!

元ソフトウェア技術者としては、どんなソフトウェアを使って、このシステムが作られているのかが気になる。レヴォーグの 700ページもの電子マニュアルを拾い読みしていると、オープンソース・ソフトウェアのライセンスの項があるのに気づく。そこには、このシステムで使われているオープンソース・ソフトウェアの使用許諾や著作権を確認できる、デンソーの Web サイトへのリンクがある。そう、このシステムはデンソーが開発しているのである。

www.denso.com

この使用許諾には、各種オープンソース・ソフトウェアのライセンス条件や著作権が記載されている。ここから関連する情報を少しづつ調べてみると、なかなか興味深いことがわかってきた。

まず一番最初に出てくるのが何と Linus Tovalds。言わずと知れた Linux の開発者の名前である。Linux カーネルの vmlinux を圧縮した bzImage ファイルの使用許諾が GPLGnu General Public License)であると記述されている。そして Linux 関連のソフトウェアのソースコードとして、ログを取得して管理する dlt-daemon や、Linux の無線 LAN インタフェースのファイルがリンクされている。

この dlt-daemon は、Diagnostic Log and Trace(診断ログとトレース)の略で、欧州の車載ソフトウェアの標準化団体 AUTOSAR(AUTomotive Open System ARchitecture)で仕様が定められた ECU のログ管理プラットフォームであり、GENIVI Alliance という標準化団体が Linux での実装を行っている。

IVI(車載インフォテインメント)がどういうシステムなのか。そしてその標準化団体の一つである GENIVI について、日本語で書かれた 2011年の記事がある(前編後編)。

monoist.atmarkit.co.jp

最近の IVI の動向を調べてみると、プラットフォームを Linux ベースで標準化する動きとして、AGL(Automotive Grade Linux)があることがわかる。2020年4月に書かれた解説記事によると、トヨタ主導のもと、全世界で150社以上が参画している車載システムのオープン・プラットフォーム推進組織である。非競争領域である IVI のプラットフォームの開発を標準化すること、そこにオープンソース・ソフトウェアを採用することで、開発コストの削減や市場投入スピードの短縮を狙った動きである。トヨタ主導の AGL には、当然、デンソーやスバルも参画している。

jidounten-lab.com

そして2020年1月に、スバルの 2020年の米国版アウトバックとレガシィの IVI にAGLソフトウェアが採用されることが発表された。この記事の写真に写っている IVI は、レヴォーグに採用されているものと同じ、縦型のセンターインフォメーションディスプレイである。そう、いち早く米国版アウトバックレガシィで採用されたシステムが、日本のレヴォーグにも採用されたと考えられる。つまり新型レヴォーグの IVI の OS は Linux(AGL: Automotive Grade Linux)であると推測される。

prtimes.jp

もう少し、オープンソース•ソフトウェアのライセンス記述について見ていこう。次に出てくるのが、Cinemo という会社の名前である。IVI のマルチメディア処理(メディア管理、再生、ストリーミング)や Apple CarPlayAndroid Auto などデバイス連携のミドルウェアを、Tier 1 向け、あるいは OEM で提供している会社である。組み込みのリアルタイムOSLinuxQNX など多くの OS に対応している。

デンソーと Cinemo でソフトウェア開発キット SDK が作られているようだ。ググってみると、車載インフォテインメント・システムに関して、デンソーと Cinemo の協業に関する2017年のプレスリリース記事が見つかる。この記事によると、日本の大手自動車 OEM 向けに「デンソーの次世代高性能インフォテインメント・プラットフォームをCinemoの統合ミドルウエアに結合」とある。また2019年にデンソーテンとの4年に及ぶ協業を今後も続けるとのプレスリリースもある。

ここまででわかった情報を総合してみると、新型レヴォーグのセンターインフォメーションディスプレイは、OS が Linux。そのプラットフォームの上に、Cinemo のメディア処理やスマホ連携のミドルウェアデンソーデンソーテン)のカーナビゲーションを載せたシステム構成であることが、見てとれる。

オープンソース・ソフトウェアのライセンスや著作権の記述を眺めていると、GPLApacheMozillaBSD など、さまざまな条件のソフトウェアが混在していることがわかる。なかには X コンソーシアム(Unix 上の X ウィンドウシステム)の 1987年の Copyright が含まれており、思わず懐かしさを感じてしまった。Linux が作られたのが1991年。僕が Linux や X ウィンドウ、Gnu のソフトウェアをノート PC で動かし始めたのが 1993年頃だ。Linux のバージョンは 0.99 だったと記憶する。オープンソース・ソフトウェアコミュニティーの 30年以上にわたる開発の蓄積が、新型レヴォーグの車載インフォテインメントの実現に、脈々とつながっているのである。

レヴォーグの電子マニュアルの拾い読みから始まった、少しマニアックな探索調査の旅。オープンソース・ソフトウェアの使用許諾と著作権の記述からファイル名を確認して、それがどういう機能のソフトウェアか、誰が作ったかを調べる。さらに関連する情報をググってみる。元ソフトウェア技術者として懐かしさを感じるとともに、車載インフォテインメントについて学ぶよい機会であった。

muranaga.hatenablog.com muranaga.hatenablog.com