Muranaga's View

読書、美術鑑賞、ときにビジネスの日々

上野の美術館巡り:東京都美術館「芸術 x 力 ボストン美術館展」から、東京藝術大学大学美術館「日本美術をひも解く」へ

上野の美術館巡り。まずは東京都美術館「芸術 x 力 ボストン美術館展」へ。

www.ntv.co.jp

古今東西の権力者たちが、その力を誇示・維持するために芸術の力を利用してきたということで、その肖像画であったり美しい工芸品であったりが、ボストン美術館のコレクションから展示されている。中には日本にそのままあれば、国宝になったであろうと言われる作品も、里帰りしている。鎌倉時代の《平時物語絵巻 三条殿夜討巻》や、江戸時代の大名・増山雪斎によって描かれた《孔雀図》などである。これらはおそらくフェロノサや岡倉天心によって、米国に運ばれたものなのだろう。

朝一番の回を予約して出かけたが、思いのほか、空いていた。この展覧会は「目玉」となるような作品が少ないからかもしれない。美術作品というよりは、歴史資料の要素も多く、この展覧会は、正直、僕にとっては難しいものだった。なぜなら古今東西、世界史の知識が要求されるからである。作品を理解するための背景知識が不足していた。

都美をあとにして、東京藝術大学大学美術館の特別展「日本美術をひも解く」へ向かう。宮内庁三の丸尚蔵館所蔵の皇室の至宝に、藝大のコレクションを加えて、日本美術の流れを辿る展覧会である。国宝や重要文化財となっている作品も含まれている。

こちらはかなりの人出である。夏休みと言うこともあって、家族連れも多い。国宝である伊藤若冲の《動植綵絵 向日葵雄鶏図》は 8月 30日からの展示で、今回見ることはかなわなかったが、狩野永徳《唐獅子図屏風》や酒井抱一《花鳥十二ヶ月図》などを楽しむことができた。

tsumugu.yomiuri.co.jp

早起きしての美術館巡りでお腹もすいたので、大学美術館のカフェでランチ。ホテルオークラの OB シェフと思しき方がキッチンにおられて、カレーやグラタンと言った洋食が提供される。

tabelog.com

板谷波山の多彩な陶芸に魅了される(出光美術館)

夏休みの美術館巡り。横浜そごうでのランチの後は、改装していた出光美術館を久しぶりに訪ねる。「生誕150年 板谷波山 -- 時空を超えた新たなる陶芸の世界」展。

その多彩な陶芸に心を奪われる。美しい器の形、多様な彫り紋様に、釉薬を使い分けることで美しい色を出す。当時のアール・ヌーヴォーの様式を参考にしたということらしいが、今でもモダンな印象を受ける。

その釉薬による彩色にはさまざまな命名がされている。特に葆光彩磁と名づけられた手法には「光のきらめきを隠す」という意味があり、透明度を落としてマットのような色調が実現されている。淡い色使いとあいまって、独特の魅力を醸し出している。

僕には珍しく陶芸の展覧会の図録を購入してしまった。波山という名前は、故郷の下館から見える筑波山に因んでいるとのこと。図録にこの展覧会の概要紹介があるので、引用する。

近現代陶芸の旗振り役の一人として評価される板谷波山(本名・嘉七、1872 - 1963)の生誕150年を記念して、その生涯と作品を紹介する回顧展を開催します。 彫刻的な技法と釉下彩(ゆうかさい)の技法に加えて、当時欧州で流行していたアール・ヌーヴォーの様式をいち早く受容し、それまでの日本陶磁史にない新しい波山独自の意匠表現を生み出した彩磁(さいじ)や葆光彩磁(ほこうさいじ)。一方で中国陶磁を中心に古典的な東洋の陶磁器をはじめとする工芸品を学習し、そこから青磁白磁などにも新しい表現を試みました。その表現の幅は一人の陶芸作家により生み出されたとは思えないほど、多様かつ創造性に溢れています。それは西洋や東洋、古典や現代を感じながら作陶し、模倣ではない独自の表現を求めていた軌跡であり、その結果、波山の作品は時空を超えた新しい陶芸の世界を創り出したとも言えます。彼の陶芸による表現の世界観は高く評価され、昭和28年(1953)には陶芸家として初めて文化勲章を受章しました。出光美術館の創設者である出光佐三(1885 - 1981)は、波山のやきもののみならず、その生き様にも魅了され、多くの波山作品を収集したことでも知られています。 本展では、波山の作陶への思いと作品の変遷を辿り、今でも色褪せることのない波山陶芸の魅力を紹介します。

さて出光美術館と言えば、数年前、ジョー・プライスコレクションを購入したことで話題になった。来年の年明けにはいよいよそのコレクションの展覧会が始まる。楽しみであるが、きっと混雑するんだろうなぁ。

muranaga.hatenablog.com

muranaga.hatenablog.com

美しい天空の写真に心が洗われる「KAGAYA 星空の世界」展(そごう美術館)

夏休み初日は、ぐるっとパス東京駅周辺美術館共通券を活用しての展覧会巡り。そごう美術館と出光美術館を訪ねる

まずは横浜・そごう美術館で開催されている「KAGAYA 星空の世界」展。美しい天空の写真に心が洗われる。

日本全国、そして全世界を巡って、美しい写真を撮影している。

KAGAYA さんのベスト写真集『Starry Nights — the Best of the Best』や、星空の撮影法を説明した『星空の楽しみかた 見る・撮る』はおススメである。展覧会でもその撮影の裏側を明かしたビデオが上映されていたが、緻密な準備のもと、夜空のきらめきを捉えていく様子がわかる。

美しい星空を堪能した後は、夏休みということで、プチ贅沢なイタリアンのランチを、Al Porto Classico にて。

muranaga.hatenablog.com

美しい花の写真・映像に元気づけられ(東京都庭園美術館)、水を描いた日本画を見て涼む(山種美術館)

連休の最終日は美術館巡り。

東京都庭園美術館で開催の「蜷川実花 瞬く光の庭」展では、美しい花の写真と映像に元気づけられる。

www.teien-art-museum.ne.jp

山種美術館「水のかたち」展では、水をテーマにした日本画で涼む。千住博の滝をはじめ、さまざまな水が描かれている。

小林古径《河風》

庭園美術館から山種美術館へ向かう前に、目黒駅アトレ2の「TO THE HERBS」にてランチ。季節メニューで出ていたパスタが、川崎駅の「Trattoria TAVOLA」で食べたものと同じだったことを思い出し、調べてみたら同じ会社の別ブランドであった(因みに「ピザーラ」もこの会社のブランド)。

サントリー美術館、泉屋博古館東京と巡る中、指揮者の鈴木優人さんと偶然すれ違った

連日の気温 35度超の天気予報を見て、ゴルフに行くのを諦め、涼しい美術館巡りをする。

まずはサントリー美術館「歌枕 あなたの知らない心の風景」展へ。


www.youtube.com

「吉野」と言えば桜。「龍田」と言えば楓。和歌の世界では、土地が特定のイメージと結びついている。それが「歌枕」である。逆に絵のモチーフからそれがある土地を示している場合もある。たとえば柳、川、橋、水車が描かれていれば「宇治」を示している。そういった日本人ならではの世界を垣間見ることのできる展覧会である。

暮らしに息づく歌枕を紹介する展示もある。その展示構成のページから下記を引用しておく:

歌枕は実際の風景よりも、その土地を象徴する景物によって表わされてきた歴史があることから、デザイン化されやすい性質を持ち、多くの器物の意匠に取り込まれてきました。なかでも「書く」という行為で和歌にゆかりの深い硯箱において、歌枕由来のデザインは高度に発達し、数々の名品が伝えられています。

「小倉山蒔絵硯箱」はその一つである。

重要文化財 小倉山蒔絵硯箱 一合 室町時代 15世紀

久しぶりに HARBS でランチ。「レモンとパルミジャーノチーズ」という夏らしいパスタがメニューに加わっていた。女性客の多くが頼んでいる。

そして何気なく通り過ぎようとしたミッドタウンの駐車場の出入口で、指揮者の鈴木優人さんTwitter)とすれ違った。「おぉ!」と思ったものの声をかけずに通り過ぎてしまった。こういう時、お声がけしていいものかどうか。YouTube「The Three Conductors」のお一人であり、「題名のない音楽会」などのテレビでもお馴染みの才気溢れる指揮者である。高校の後輩にあたるらしい(と言うのも恐れ多いが)。その特徴的な風貌からひと目でわかりました。

twitter.com

泉屋博古館東京

ミッドタウンから車で10分。泉屋博古館東京「光陰礼賛」展は住友の洋画コレクションの展覧会である。

光を追い求めた印象派と陰影表現による実在感を追究した古典派を「光陰」と捉え、この二つの流れから展開した日本近代洋画を紹介する。印象派の影響を受けたのは、外光派と呼ばれる白馬会。一方で古典派の影響を受けた太平洋画会は、旧派とレッテルを貼られた。吉田博の妻、吉田ふじをの作品も展示されていた。

さて今回は、美術館・博物館巡りにお得な「ぐるっとパス」を購入した。

www.rekibun.or.jp

『国立西洋美術館 名画の見かた』を読むことで、より楽しめる「自然と人のダイアローグ」展と常設展(西洋美術館)

国立西洋美術館のリニューアルオープン記念展覧会「自然と人のダイアローグ」を見に行く。ドイツのフォルクヴァング美術館の協力を得て、西洋美術館(西美)の松方コレクションをはじめとする多くの所蔵作品を楽しむことができる。一部の作品を除いて、作品の写真撮影も可能となっている。

この展覧会に行く前に、事前に予習しておくとよい本がある。『国立西洋美術館 名画の見かた』である。西洋美術館の学芸員による所蔵品を使った美術史概説であり、作品鑑賞のツボがわかる。

この本によれば、ルネサンスの大きな発明は遠近法。その遠近法で設定される仮設の空間構造の中で、画家たちは創意を発揮してきた。平面性の中で立体感を感じさせるためにはどうするか?輪郭を明確にするのか、印象派のように彩色によって表現をするのか?

そしてセザンヌにより遠近法空間からの解放が行われた。視点を一つに固定するのではなく、いくつもの視点から見た対象を、画面の中で再構成することを行っている。そして印象派に学んだ色面を対比させることで、形の変化や奥行きを生み出している。

こういった大きな美術史の流れの中で、それぞれの作品の鑑賞のポイントが示されている。今回は展覧会で撮影したいくつかの作品について、この本のポイント解説を書き留めておこう(カッコ内はページ数を示している)。

展覧会の最初は、モネの風景画から始まる。光をあるがままに画面に表現しようとした印象派の代表的な作品である。太陽の光の当たり方によって、固有の色は変化する。そこで太陽の光を構成する7色を基本として、それぞれの色を混ぜず、小さな無数のタッチによって画面に塗ることで、光を表現しようとしたのが印象派の画家たちである(P.128)。

モネ《ルーアン大聖堂のファサード(朝霧)》1894年

モネ《ウォータールー橋、ロンドン》1902年

モネ《チャーリング・クロス橋、ロンドン》1902年頃

マネの《ブラン氏の肖像》に描かれた男性は、立体感が希薄である。陰影は施されているが、明暗のグラデーションがほとんどない。背景にも奥行きが感じられない。人物にハイライトが当たるよりも背景の小路が明るくなっている。マネが実際の見え方に忠実に従ったからである。戸外の強い光の下では、身体の陰影はなくなるし、空間の奥行きよりも強い光と影のコントラストが強調される。マネは視覚の印象を再現しているのである(P.42)。

ルネサンスの初め、平面において架空の空間をいかに描くかが画家たちの課題だったが、マネはこれに対して逆のアプローチをして平面としての絵画、「色彩に覆われた平坦な面」としての絵画とはどうあるべきかを問い直している(P.44)。

マネ《ブラン氏の肖像》1879年頃

モネの《舟遊び》は、この傾向をさらに推し進めた作品である。この絵の人物は風景のなかの一つのモティーフという扱いであり、モネは人物も水面も、すべての光の生み出す色彩の戯れに変換して描いている(P.44)。

モネ《舟遊び》1887年

ルノワール《オリーヴの園》1910年頃

ドイツのロマン主義を主導した画家フリードリヒによる風景画は、自然を前にした人間の感動を伝えている。

フリードリヒ《夕日の前に立つ女性》1818年頃

フリードリヒの周囲にいたノルウェー人画家ダールや、新古典主義のシンケルの作品もまた、画中の人物や窓という媒体を通して、自然の風景への画家のまなざしを、見る者に追体験させる。

ダール《ピルニッツ城の眺め》1823年

シンケル《ピヘルスヴェルダー近郊の風景》1814年

ゴーガンが《海辺に立つブルターニュの少女たち》を描いたのは、モネの《舟遊び》の 2年後に過ぎないが、その造形はまるで別の方向を向いている。モネの絵では人物の造形が光の中に解体するかのようだったが、この絵では輪郭線がはっきり引かれて造形が強調されている。一方、モネの絵では光が織りなす色彩を正確に描き取る努力がなされていたが、こちらは色彩が平面的に塗られている(P.48)。

ゴーガン《海辺に立つブルターニュの少女たち》1889年

ゴーガンは目に映った像をあるがままに描くのではなく、目に見えないけれど心に残る印象を描き出そうとした。この絵の場合、彼は子供たちに野生を感じたと言っている。ブルターニュはフランスの中でも近代化が遅れていたために、そう感じた。色彩も線も素朴で荒々しいものとすることで野生を表現している(P.50)。

素朴さに人間性の根源を求めた象徴主義者ゴーガンは、芸術の新しい力を、現代の文明から離れて南洋の自然に求めていく。

ゴーガン《扇を持つ娘》1902年

神を描く宗教画、英雄を描く物語画、普通の人間の肖像画、動物、物質(静物・風景)と、絵画のジャンルにはヒエラルキーが存在した(P.107)。物語画の背景として描かれていた風景の描写は、アルプス以北の地域で発達した。そして 17世紀のオランダで風景画はジャンルとして確立する(P.112)。そこではプロテスタントカルヴァン派を信仰していたため、教会からの宗教画の注文は期待できなかった。物語と独立して、風景画がジャンルとして成立。ロイスダールは、風景を専門にした重要な画家である(P.116)。

ロイスダール砂丘と小さな滝のある風景》1628/29年頃 - 1682年

19世紀、フランス社会に変化があり、貴族階級からブルジョワへ権力が移行する中、わかり易い主題が好まれるようになった。産業の発展の一方で労働者の悲惨な暮らしが社会問題化したことで、社会をあるがままに描くという写実主義を生む。都市化が進んだ結果、都市に住む人々が田園風景に憧れる新たなまなざしを涵養した。こうした状況のもと、風景画の需要が高まった(P.124)。

クールベの《波》はまさにそうした態度を物語る作品である。この絵は波以外の何ものでもない。画家は目に見える波をそのまま描き取ろうとしている。一瞬を切り取ることによって、画家が波に感じた生命感が伝わってくる(P.125)。

クールベ《波》1870年

クールベ《波》1870年頃

クールベは「波」をよく描いた写実主義の画家である(参考:「クールベと海」展)。今回の展覧会では、フォルクヴァング美術館と西洋美術館の松方コレクションの作品が並べて展示されている。

muranaga.hatenablog.com

画家の感覚に重きを置き、目に見えるがままに外界を描く方向をさらに推し進めて、光をあるがままに画面に表現しようとしたのが、印象派の画家たちである(P.126)。印象派は、太陽の光が固有色の色調も変化させることに気づき、光の当たり方によっては、地面は赤にもなれば青みがかった色にもなる。そこで太陽を構成する7色を基本として、それぞれの色をなるべく混ぜずに、小さな無数のタッチによって画面に塗ることで、画面に光を表現しようとした(P.128)。

モネの《舟遊び》と同じように、《陽を浴びるポプラ並木》も光の効果を追求した作品である。

モネ《陽を浴びるポプラ並木》1891年

《睡蓮》も同様で、水面の表情を丹念に描き取っている。立体感のほぼ失われた画面は、光の追求の極致になっている(P.129)。

モネ《睡蓮》1916年

モネ《睡蓮》(部分)1916年

睡蓮の絵に端的に現れているように、光を写し取る努力を突き詰めた結果、絵は光の記録と化してしまった。新たな感性を発散させる一方で、絵がかつて所有していた画面の構築とか、ものの実在感が失われてしまったことは確かである。この実在感のなさを補うことが、次の大きな課題になった(P.129 - P.130)。

印象派を乗り越える動きとして、セザンヌの試みがある。印象派の彩色法を用いて、自分の目に忠実に描きつつも、印象派の失った秩序や構成を取り戻そうとした(P.130)。

印象派の明るい外光表現とともに、より「構築的な筆触」への萌芽が見られるセザンヌの作品が以下である:

セザンヌ《ポントワーズの橋と堰》1881年

セザンヌ《ベルヴュの館と鳩小屋》1890-92年頃

《葉を落としたジャ・ド・ブッファンの木々》は、戸外の風景をじかに描いている点や、短いタッチによってそれぞれの色をカンヴァスに置く点などは、モネの作品と共通しているが、モネよりも画面ががっしり構成されている。垂直線(木)と水平線が強調されている。一方、草の色の違いや石垣、丘や山の連なりによって、水平線が幾度も暗示され、画面に奥行きが表されている(P.130)。

セザンヌ《葉を落としたジャ・ド・ブッファンの木々》1885-86年

右端から左に向かう枝は奇妙に長く表され、その延長線が中央左の木の枝とつながるかのようである。その間にある空は、両者の枝を結ぶ架空の線が塗り残しとして示されている。こうしてセザンヌは画面の中に、確固とした構成を与えているのである(P.132)。

セザンヌの絵は印象派同様、タッチの集積で描かれており、少し離れた場所から見るべきである。近づいてみると画家の近くの過程と試行錯誤を読み取ることができるが、絵から離れて見ると、空間の構成をよりはっきり見ることができる(P.132)。

セザンヌの絵を見る時に、ぜひ行って欲しいことがある。それは絵を斜めに見ることである。おそらくセザンヌは絵を描く時、カンヴァスからやや離れて、左右に歩き回っていた。

この絵を右から見た時に、絵の中の遠近感とも相まって、右下の部分が一番手前に見える。そうするとその部分にある最前景の暗い草地やクリーム色の色面が、左上方向に存在する色面やタッチと関連づけられる。こうして奥行きや画面の構成が強調される(P.133)。

この絵を左から見た場合、草地の暗い色で示される水平線が、画面左下から右上にかけて繰り返されるために、視線は画面左下から右上に誘導されて、画面の奥行きと構造を強調する(P.133)。

セザンヌのように多視点から見た対象を画面の中で再構成するのは、ルネサンス以来の一つの視点を想定する遠近法から逸脱している。ものを見る時にわれわれは視線を動かし、視線が瞬間的に把握したものを脳が総合するというプロセスを踏んでいる。セザンヌは遠近法の矛盾に気づき、新しい空間を作っている(P.134)。

印象派の風景画を乗り越えようとした画家は他にもいる。ゴッホもそうであり、より主観的な印象を重視した。彼は高ぶる感情をひと刷けひと刷けの色彩に託した。主観に重きを置くがゆえに、形をゆがめて表現することをいとわなかった。セザンヌとは違うプロセスをたどりつつ、遠近法を乗り越える作品を創造した(P.136)。

ゴッホ《刈り入れ》1889年

ゴッホ《ばら》1889年

ゴッホ《ばら》(部分)1889年

セザンヌが新たな空間のあり方を模索し、ゴッホが自己の情念を描き出し、ゴーガンは心の内にある思想を主観的に表現したこの頃、シニャックはスーラとともに、印象派の「色彩分割」を発展させ、科学的な分析に基づく「点描」を確立した(P.138)。

シニャック《サン=トロペの港》1901-02年頃

シニャック《サン=トロペの港》(部分)1901-02年

シニャック《ポン・デ・ザール橋》1912-13年

シニャック《ポン・デ・ザール橋》(部分)1912-13年

レイセルベルヘ《ブローニュ=シュル=メールの月光》1900年

風景画や静物画と同様、風俗画というジャンルもそもそもは存在しなかった。15世紀後半から 16世紀にかけて、風俗の主題がとりわけ描かれたのはネーデルラントだった。ブリューゲル(父)と同名の長男による父の絵のコピー《鳥罠のある冬景色》が、国立西洋美術館には所蔵されている。一見すると当時の生活を描き留めた風景画のようだが、氷にぽっかり開いた穴や鳥を捕らえるための罠など、日常に潜む危険に警鐘を鳴らし、あるいは運命のはかなさを伝えている(P.154 - P.156)。

ブリューゲル(子)《鳥罠のある冬景色》1564/65 - 1637/38年

19世紀にはジャンル分けがあまり意味をなさなくなってきた。ルノワールクールベの絵にしても、風俗を描き出すと言うよりは、それを題材にして「いかに描くか」を重視している。デンマークハンマースホイの室内画はその最たるものである(P.168)。

ハンマースホイ《ピアノを弾く妻イーダのいる室内》1910年

《ピアノを弾く妻イーダのいる室内》は、日常のひとこまが切り取られているが、非日常的な雰囲気のある作品である。室内は心の通った空間であるはずが、この絵からは完全に排除されている。風俗画という伝統的な形式を用いながら、それとは異質なものになっているのがこの絵の魅力である。遠近法にのっとった空間であるのに、何とも言えない異質な空気を感じるところに、この絵の現代性がある(P.167 - P.168)。

muranaga.hatenablog.com

先日見に行ったマルタンの絵も所蔵されていた:

マルタン《花と泉水》

muranaga.hatenablog.com

企画展と常設展を堪能すると、2つの美術館を見てまわった気がしてお腹も空く。「カフェ すいれん」でランチ。ル・コルビジェが発案した「無限成長建築」を表現した「ル・コルビジェプレート」をいただく。

https://muranaga.hatenablog.com/entry/20210604/p2

美しい風景日本画を観る:「生誕110周年 奥田元宋と日展の巨匠」展(山種美術館)

SOMPO美術館「シダネルとマルタン展」の後は、山種美術館まで足を延ばし、「生誕110周年 奥田元宋と日展の巨匠」展を観る。

奥入瀬を描いた作品が美しい。秋、そして春。二つの大きな絵が展示されている。

《山澗雨趣》は奥只見での写生をもとに描かれている。雨に濡れた新緑に、一筋の白い滝が落ちる。さわやかな風景である。

奥田元宋《山澗雨趣(さんかんうしゅ)》昭和50年

muranaga.hatenablog.com