Muranaga's View

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「ブルターニュの光と風」展を訪れ、ポン=タヴァン派・ナビ派の歴史を学ぶ(SOMPO美術館)

フランスの北西部に位置するブルターニュ。ワイン好きな人にはお馴染みのブルゴーニュと間違いそうだが、そうではなく、ブルターニュ。フランス語だとブリテンを意味する。ブルターニュは古のケルト文化を残す地方で、画家たちのインスピレーションを掻き立てるところだったようだ。ブルターニュをテーマにした展覧会が、国立西洋美術館SOMPO美術館で同時開催されており、後者の方に行って来た。

www.sompo-museum.org

展覧会のサイトから概要やみどころを引用する。

豊かな自然と独自の文化を持つことで知られるフランス北西部の地、ブルターニュ。本展は、ブルターニュに魅了された画家たちが描いた作品を通じ、同地の歴史や風景、風俗を幅広くご紹介する展覧会です。深緑の海や険しい断崖が連なる海岸線、平原と深い森とが織りなす固有の景観、また、そこに暮らす人々の慎ましい生活と敬虔な信仰心は、19世紀初め以来、数多くの画家たちの関心を掻き立ててきました。本展では、ブルターニュに関する作品を多数所蔵するカンペール美術館の作品を中心に、45作家による約70点の油彩・版画・素描を通じて、フランス〈辺境の地〉ブルターニュの魅力をご覧いただきます。

ブルターニュは、ゴーギャンやポン=タヴァン派の画家たちが集い、総合主義が生まれたフランス近代絵画史上の重要な地として知られています。しかし彼らの前後の時期にも、ブルターニュの豊かな自然風土とそこに生きる人々の姿に魅了された画家たちは数多くいました。本展では、およそ1世紀のあいだに様々な様式で描き出されたブルターニュの姿をご紹介します。

展示会は 3部構成となっている。

第1章 ブルターニュの風景 - 豊饒な海と大地

19世紀前半のロマン主義文学の中で「未知なる土地」や「異郷」として描き出されたブルターニュは、画家たちのエキゾチスムに満ちた関心を掻き立てる地であった。多くの画家が半島を旅して、サロン(官展)ではブルターニュの主題が流行した。

ギュダン《ベル=イル沿岸の暴風雨》1851年

テオドール・ギュダンは 19世紀前半を代表する海洋画家の一人。ブルターニュ半島沿岸に浮かぶ島 ベル=イル(「美しい島」の意)を描いている。

セジェ《ブルケルムール渓谷、アレー山地》1883年ごろ

アレクサンドル・セジュは 1838年ブルターニュを訪れて以来、生涯にわたってこの地に来て、風景や人々の風俗を描いた。

ヴェルニエ《コンカルノーブルターニュの引馬》1883年

エミール・ヴェルニエは、リトグラフによる模写を通じて、クールベのレアリスムを学んだ。本作は 1883年のサロンで国家買い上げとなった。

ベルニエ《サン=タンヌの荒地》1878年ごろ

カミーユ・ベルニエが、1848年から 1900年まで出展し続けたサロンでは、ブルターニュの風景を描いた作品が高い評価を得て、国家買い上げののち、地方美術館へ収蔵された作品も少なくない。

ルルー《ブルターニュの婚礼》1863年

アドルフ・ルルーは生涯にわたってブルターニュの景観や風俗を描き、「ブルターニュのルルー」という異名を得た。ルルーのレアリスムは、ミレーやクールベに先駆ける存在として高く評価された。丹念に細部を描写する本作は、国家の依頼により制作されたものである。

第2章 ブルターニュに集う画家たち - 印象派からナビ派

19世紀以降、ブルターニュの土着的な習俗や自然は画家たちに恰好の題材を提供して、一躍ブームとなる。サロンの主流であるアカデミックな様式から離れて、新たな様式を模索した印象派からナビ派へ至る画家たちにとっても、ブルターニュは豊かな着想源であった。ブーダン、モネ、そしてゴーギャン…。

ブルターニュの小さな村ポン=タヴァンにたどり着いたゴーギャンは、ベルナール、セリュジエらとともにポン=タヴァン派と呼ばれるグループを形成する。1888年、セリュジエはゴーギャンの指導のもと、抽象画に近い《護符(タリスマン)》という作品を描き、ドニやボナールらパリの画塾仲間に衝撃を与えた。ヘブライ語で「預言者」を意味する「ナビ」をグループ名とした彼らは、心象的なイメージを重視、色面と線で大胆に表すゴーギャンの手法をさらに発展させた。

こうしたゴーギャン、ポン=タヴァン派の活動によって、ブルターニュは近代絵画史にその名を刻むことになる。

ブーダン《ノルマンディーの風景》1854-1857年

ブーダンが故郷ノルマンディーを描いた作品。同じころ画家はブルターニュへ赴いている。ブーダンは早くから戸外での制作に取り組んでおり、とりわけ 1858年にクロード・モネと出会い、彼を戸外の政策に誘ったことはその後の印象派の成立に大きな役割を果たしている。

モネ《ルエルの眺め》1858年

クロード・モネは、ブーダンとの出会いをきっかけに戸外制作に取り組む。故郷のル・アーヴルに近いルエルを描いた作品である。この作品の四半世紀後の 1880年代半ばに、モネは各地を旅するなかでブルターニュと出会うことになる。

ゴーギャンブルターニュの子供》1889年

右側にブルターニュの伝統衣装姿の二人の子供が描かれている。鮮やかな色彩と強調された輪郭線は、ゴーギャンが以後総合主義を展開する過程を示すものである。古くからの伝統が息づくブルターニュの子供たちを、原始的で無垢な存在として捉えている。

セリュジエ《さようなら、ゴーギャン1906年

ポール・セリュジエは 1888年の夏にポン=タヴァン滞在中に、ゴーギャンやベルナールと出会う。ゴーギャンの指導のもとに風景画を描き、強い色彩と平面性を備えた作品で、ナビ派を結成する。ブルターニュを題材とした作品を多数制作し、彼にとって終の棲家となった。

モレ《ポン=タヴァンの風景》1888-89年

モレ《ブルターニュの風景》1889-90年

アンリ・モレは、ゴーギャンやベルナールと出会い、色面によって画面を構成するゴーギャンに近い様式を取り入れて、ポン=タヴァンの風景を描くようになった。

ドニ《フォルグェットのパルドン祭》1930年

モーリス・ドニは、セリュジエが描いた《護符(タリスマン)》をきっかけに、ナビ派を結成する。敬虔なカトリック信者であったドニは、毎年9月に行われ、何千人もの巡礼者が訪れるパルドン祭に 1921年から 1934年の間、ほぼ毎年のように通った。本作は、祭りの最中に行われるミサの一画面を描いている。

第3章 新たな眼差し - 多様な表現の探求

ポン=タヴァン派によって創始されたクロワゾニスム(輪郭線で色彩を囲み平坦な色面で表す)は、ブルターニュからパリに伝わった技法だったが、パリの美術動向もブルターニュの画家たちに少なからぬ影響を与えた。

マルタンブルターニュの海》1900年

ジョルジュ・スーラが率いる新印象派による点描のタッチを使ってブルターニュの海を描いたマルタン

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コッテ《嵐から逃げる漁師たち》1903年ごろ

コッテ《海》1903-05年ごろ

黒を基調とする「バンド・ノワール(黒い一団)」のシャルル・コッテは、クールベやオランダ絵画からの影響を受けて、暗澹たる風景を描き出した。

展覧会の最後には、SOMPO美術館所蔵のゴーギャンの作品《アリスカンの並木路、アルル》や、ゴッホの《ひまわり》を見ることができる。

ゴーギャン《アリスカンの並木道、アルル》1888年

僕自身としてはあまり馴染みのないフランスの画家の作品を知るよい機会となった。さらに上野の国立西洋美術館で開催されている展覧会「憧憬の地 ブルターニュ」の予習にもなったように思う。

bretagne2023.jp

展覧会の後は、隣りの野村ビル50階に足を運んでランチ。春休みだからだろうか、定番の「デューク」は予約で満席、思いがけず「桃里」での中華のランチとなった。

そしてお昼を過ぎて渋滞が少し緩和されつつある関越道を通って親の家へ行き、老父の買い物を支援、施設にいる母にも少しだけ面会して帰って来た。