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予習してから観に行けばよかった「ハプスブルク展 600年にわたる帝国コレクションの歴史」(国立西洋美術館)

秋の上野の美術館・博物館巡りの最後を飾るのは、国立西洋美術館「ハプスブルク展 600年にわたる帝国コレクションの歴史」である。「ゴッホ展」「風景の科学展」を観た後、早めにランチを済ませ、正午前に西洋美術館に行ったのだが、チケット販売の列に 10分ほど並ぶこととなった。

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13世紀末にオーストリアへ進出後、戦争や政略結婚により勢力を拡大し、広大な帝国を築き上げたハプスブルク家。600年以上にわたって広い領土と多様な民族を支配し、ヨーロッパの中心に君臨し続けた。その間、豊かな財力により、ハプスブルク家は美術コレクションを築いた。それはウィーン美術史美術館の収蔵となり、今回の展覧会では約100点の展示を通して、ハプスブルク家のコレクションの歴史を辿る(出品リスト PDF)。

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江村洋ハプスブルク家』(講談社現代新書)を参考に、ハプスブルク家のヨーロッパでにおける歴史をざっくり概観すると、1273年にルドルフ1世が神聖ローマ帝国の王位について、スイスの片田舎からオーストリアへ進出したことから、その歴史は始まる。その後ハプスブルク家が全欧的な王朝に発展したのは、15世紀後半にマクシミリアン1世が、ブルグント(ブルゴーニュ)公国の跡取りとなる王女と結婚してからであり、一躍、世界史の檜舞台に躍り出たことになる。武力だけでなく、その子・孫の政略結婚により、ハプスブルク家はスペイン、ナポリハンガリーボヘミアの王となった。そして16世紀前半のカール5世の時代のヨーロッパは、英仏両国とローマ教皇庁領を除けば、ほとんどハプスブルク支配下にあり、「太陽の没することがない帝国」となった。

不世出のカール5世亡き後、スペイン系とオーストリア系に分かれ、それぞれが独自の道を歩むが、スペイン系は18世紀初めにブルボン家に奪われて消滅する。オーストリア系は、18世紀半ばのマリア・テレジア女帝の時代に一つの頂点を迎えた。この時のオーストリアは、ネーデルラント、北イタリア、ハンガリーボヘミアなどを含み、この時代にオーストリアの近代化が進んだ。19世紀になると民族主義の嵐が吹き荒れ、その影響を受けたのが多民族国家オーストリアであった。1848年の三月革命の年にオーストリア帝に即位したのが、ハプスブルク家の事実上最後の君主、フランツ・ヨーゼフである。民族独立が現実となり、オーストリア帝国を「オーストリアハンガリー二重帝国」と改名し、ハンガリーに半ば独立を認める形となった。その後チェコ人も民族運動を展開、混乱を深める中、第一次大戦が勃発、そのさなかの1916年に最後の皇帝フランツ・ヨーゼフが亡くなり、7世紀に及ぶハプスブルク王朝は終焉した。

habsburg2019.jp

artexhibition.jp

展覧会に入場するとまず目を引くのは、15世紀末、マクシミリアン1世自らが着用した甲冑である。「中世最後の騎士」と讃えられたのは、26年の治世のうち25回も遠征を行い、正々堂々と騎士らしく戦ったためだという。

16世紀後半のルドルフ2世は、統治者としてはダメだったらしいが、審美眼を持った稀代のコレクターであり、アルチンボルドブリューゲルデューラーを好んだ。17世紀前半のスペイン王フェリペ4世は、ベラスケスを見出し宮廷画家として採用した。そのコレクションはプラド美術館の礎になっている。ベラスケスはフェリペ4世の王女マルガリータテレサの肖像を描いた。それはのちの神聖ローマ皇帝オポルト1世に幼き許嫁の姿を伝えるための制作であった。展覧会では、デューラー、ベラスケスらの絵、王家を描いた肖像画が並んでいる。

肖像画に描かれているハプスブルク家の人物について予習して、ハプスブルク帝国の歴史の流れが事前に頭に入っていれば、より興味深くそのコレクションを観ることができたことだろう。僕の場合、この展覧会に行った後に、高校で習った世界史を思い出しながら、ハプスブルク家の歴史について入門書をいくつか読んだ次第。

展覧会に行く前に、ひとまず読んでおくといいのは、中野京子『名画で読み解くハプスブルク家 12 の物語』だろう。ベストセラーとなった『怖い絵』の著者が、オーストリア、スペイン両ハプスブルク家にまつわる主な人物を、その肖像画をもとに活写しており、一気読みできる面白さである。肖像画の見方もわかる。ハプスブルク家は歴代、遺伝によって下顎が突出した受け口であること、スペインのハプスブルク家は血族結婚を繰り返す中、亡くなる子供が多く、継承者に苦労したことなどが語られる。

名画で読み解く ハプスブルク家12の物語 (光文社新書 366)

名画で読み解く ハプスブルク家12の物語 (光文社新書 366)

  • 作者:中野 京子
  • 出版社/メーカー: 光文社
  • 発売日: 2008/08/12
  • メディア: 新書

この本で、主な人物のキャラクターを押さえたら、ハプスブルク家の歴史、ひいてはヨーロッパの歴史も頭に入りやすくなるだろう。この本が参考文献として挙げているのが、加藤雅彦『図説 ハプスブルク帝国』である。豊富な絵・写真・地図と共に、ハプスブルク帝国の歴史を説明する、読み易い入門書である。最近になって、その新装版が出版されている。

図説 ハプスブルク帝国 (河出の図説シリーズ)

図説 ハプスブルク帝国 (河出の図説シリーズ)

図説 ハプスブルク帝国 (ふくろうの本/世界の歴史)

図説 ハプスブルク帝国 (ふくろうの本/世界の歴史)

そして『図説 ハプスブルク帝国』の参考文献の一つに挙がっているのが、前述した江村洋ハプスブルク家』である。上記の本よりさらに詳しく、ハプスブルク家の歴史、君主の物語を展開する。キリスト教と並び、汎ヨーロッパ的な性格と重要性を持った王朝はハプスブルク家のみ。その歴史を辿ることは、ヨーロッパの歴史を辿ることでもある。この本も、ハプスブルク家の歴史を物語のように読み進めることができる。15世紀後半、政略結婚を成功させ、ブルゴーニュから西ヨーロッパの国々と深く関わり合うようになったマクシミリアン1世。16世紀前半、スペイン王となり「太陽の没することのない帝国」となった時代のカール5世。18世紀オーストリアを中心に中欧の近代化を進めた女帝マリア・テレジア。実質上ハプスブルク最後の皇帝となったフランツ・ヨーゼフ。これらの君主に焦点をあて、その活躍について詳しく書かれている。特にマリア・テレジアを高く評価している。

ハプスブルク家 (講談社現代新書)

ハプスブルク家 (講談社現代新書)

ハプスブルク家の女たち (講談社現代新書)

ハプスブルク家の女たち (講談社現代新書)

ハプスブルク帝国 (講談社現代新書)

ハプスブルク帝国 (講談社現代新書)

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