横浜での演奏が素晴らしかったと聞き、急きょ、若き天才ピアニスト、アレクサンドル・カントロフのリサイタルを聴くべく、東京オペラシティに出かける。
カントロフは、藤田真央がチャイコフスキー・コンクールで2位だった時の優勝者であり、コンクール史上 3人しか受賞者がいないグランプリも受賞したフランス人ピアニストである。その父はヴァイオリンの巨匠、ジャン=ジャック・カントロフ。
プログラムを事前に入手しているし(横浜公演と同じもの)、今日の演目の一部の曲は CD も出ているので、予習はバッチリである(シューベルト≪さすらい人幻想曲≫はポリーニの演奏で予習した)。
ブラームスに傾倒しているカントロフは、ブラームスと他の作曲家を組み合わせて、プログラムを構成する。ブラームスの「作品1」である《ピアノ・ソナタ第1番》と組み合わせたのは、シューベルトの《さすらい人幻想曲》。ブラームスはシューベルトの音楽を愛し、交響曲の楽譜の校訂者にもなっている。カントロフは、ブラームスとシューベルトの間に特別なつながり・共通点を見出したということになるのだろう。
《ピアノ・ソナタ第1番》と《さすらい人幻想曲》が対比されるようにプログラムを構成して、その間にリスト編曲のシューベルトの歌曲を置いた。
プログラム:
アンコール:
- サン=サーンス(ニーナ・シモン編):オペラ「サムソンとデリラ」から デリラのアリア「あなたの声に私の心は開く」
- ストラヴィンスキー(アゴスティ編):バレエ「火の鳥」から フィナーレ
- シューベルト/リスト:万霊節の日のための連祷 S.562-1
- リスト:「超絶技巧練習曲集」から 第12番「雪かき」
そして…。
僕の貧しい語彙力ではとても言い表せない素晴らしい、いや凄まじい演奏であった。
美しい旋律だが、平凡な演奏だと間延びして聞こえかねないブラームスのソナタ。ところが最初から最後まで、息をつく間もない。一つ一つの音に濁りがない。和音が美しく響く。緩急自在、音の強弱が繊細にコントロールされている。
藤田真央のタッチが柔らかくまろやかだとすれば、カントロフのそれはより硬質なものに位置づけられるだろう。透徹な音と言えばいいのだろうか?力強く、それでいて繊細。超絶技巧の技術なのに、それを微塵も感じさせない。深く考えられた解釈に基づいた曲の持つ音楽性・芸術性が伝わってくる。最高峰のテクニックに支えられているはずなのに、その存在自体を忘れさせてしまう。
右手を怪我したクララ・シューマンに捧げた《シャコンヌ》。本当に左手だけで弾いているのだろうか?細かなペダルワークも含め、主旋律と低音部の和声が天にも昇っていくように響き合う。録音されたものを事前に聴いていたが、ライヴで聴くそれは、本当に美しくダイナミックで緊張感のある演奏だった。
後半のリスト、シューベルトの《さすらい人幻想曲》は、休むことなく一気呵成に弾き上げられた。こちらはとにかく一音も聞き逃すまいと必死である。いやぁ、こちらも「凄い」としか言えない。シューベルト自身がうまく弾けず、苛立ちのあまり「こんな曲は悪魔にでも弾かせてしまえ」と言ったという逸話もある難曲だが、自在に、それこそデモニッシュに弾きこなしている。
僕の語彙力では、それこそ「筆舌に尽くしがたい」ので、専門家による横浜公演の感想を参考にして欲しい。
開演前、女性の日本語によるアナウンスに引き続き、フランス語と英語によるアナウンスは、カントロフ自身が行った。プログラムや CD を購入した人へのサイン会も開催され、一人づつ丁寧に対応したようである。演奏だけでなくその誠実な態度にも感激した様子が数多く SNS に投稿されている。日本が好きとのこと(日本の自然が好きというだけでなく、小さい頃から日本のコミックスばかり読んでいたそう)で、毎年来日しているし、来年の公演も既に予定されている。今からとても楽しみである。
今回と同じブラームスとシューベルトをカップリングした CD も出るとのこと。今回のリサイタルを追体験できると、これまた楽しみである。
ブラームスのピアノ・ソナタ第2番や第3番、そして「シャコンヌ」や「火の鳥」は既に CD が出ている。
YouTube でもカントロフの演奏を聴くことができる。たとえばアンコールに弾いた「火の鳥」は:
そういえば同日同時刻に、川崎ミューザで藤田真央のリサイタルが行われていたのだった。ショパンの全ポロネーズとリストのソナタという、これまた凄いプログラムである。同じチャイコフスキー・コンクールの1位と2位という、二人の若き天才が、同じ日・同じ時間に日本でリサイタルをしている。音楽の方向性は違うものの、その演奏はどちらも凄まじい。その両方を聴く機会を選べると言う幸運を、しみじみと噛みしめている。
リサイタルの前は、オペラシティの椿屋珈琲で夕食。季節限定の「紅茶鴨と霜降りひらたけのみぞれ和風パスタ」をいただく。開場を待つ人たちで混んでおり、入るのに 10分待つほどであった。お代わりのコーヒー(半額)を頼み、プログラムを隅から隅まで読み込んで予習することができた。