Muranaga's View

読書、美術鑑賞、ときにビジネスの日々

松岡美術館を初訪問。ガンダーラの仏像や清の工芸品を見る

白金台・プラチナ通りのすぐ近くにある松岡美術館を初めて訪ねる。

中庭の紅葉が美しい。

中国・インドなどアジアの美術品・工芸品が数多く展示されている。やはりガンダーラ(現代のパキスタンペシャワール地方の古名)の仏像は独特の趣きがあって面白い。インドの仏教とギリシア・ローマの彫刻技法、イラン系遊牧民クシャーン族の美意識が融合して成立したと見られているとのこと。

2ヶ月ほど前、トーハクの東洋館を見て回ったので、一層親しみが湧いた。

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そして「アメイジング・チャイナ 深淵なる中国美術の世界」と題した展覧会が企画されている。

翡翠白菜形花瓶(かへい)》中国・清時代

乾隆帝の時代、翡翠の産地ミャンマー近くまで清の支配が及び、宮廷の工房には良質の翡翠がもたらされ、選りすぐりの工人たちが腕をふるったと言う。葉先にキリギリスがとまる翡翠の白菜。白菜は花嫁の純潔、昆虫は子孫繁栄の願いを表わし、翡翠の白菜は婚礼の縁起物として清代に製作された。故宮博物館所蔵の《翠玉白菜》は清朝末期の妃の嫁入り道具だったと言う。

《紅地粉彩 花卉文 扁壺(かきもん へんこ)》清時代 景徳鎮窯

こちらも 2ヶ月ほど前に、静嘉堂文庫美術館で中国の陶磁を見て、粉彩という技術を学んだ後でもあり、よい復習となった。

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事業で財をなした個人が、このように多くの美術工芸品を収集して、美術館にしてくれたのはありがたいことである。「1,000億円(7億ドル)という契約をした大谷翔平君も美術館を設立してくれないかなぁ?」そんなことをふと思ったりもした。

ほっこり心が温まる「特別展 癒やしの日本美術 ー ほのぼの若冲・なごみの土牛 ー」(山種美術館)、そしてパパスカフェ

老親を訪ねる際、関越自動車道の渋滞を回避するために、午前中に都内の美術館に寄ることが多い。今回は山種美術館の特別展「癒やしの日本美術 ー ほのぼの若冲・なごみの土牛 ー」を観る。

自分にとっては、当初の期待以上によい展覧会であった。何といっても心がほっこりと和む。伊藤若冲長沢芦雪といった、どちらかというと奇想の画家として知られる人たちの「ゆるかわ」作品が展示されている。

たとえば子犬への愛があふれる長沢芦雪《菊花子犬図》。

長沢芦雪《菊花子犬図》18世紀(江戸時代)

そして伊藤若冲の描くユーモラスな布袋さんをはじめ、少し肩の力が抜けた、しかし確かな技術に裏打ちされた作品が並ぶ。

上村松園《杜鵑(ほととぎす)を聴く》や《折紙》の繊細な美しさ。柴田是真の漆を使った作品。奥村土牛のもふもふの《兎》。自然と心が温まる。

展覧会のレポートも出ている。

irohani.art

展覧会初日にもかかわらず、意外と人出が多かった。NHK 日曜美術館で、長沢芦雪について紹介された影響なのかな?

ランチは近くのパパスカフェ広尾店にて。近くにパパス・カンパニーの本社があり、広尾店はカフェ創業の地であるようだ。初めて入ったが、テーブルにネームプレートが埋め込まれているのに気づく。"Kichiemon. N" そう、中村吉右衛門である。ネットで検索してみると、会員制だった当時の会員名とのことである。

食事は美味しく、ホスピタリティも高く、ほっこりした心がさらに温まった。

テーブルには "Kichiemon. N" というネームプレート

西洋の影響を受けながら独特のエネルギーがほとばしる「激動の時代 幕末明治の絵師たち」展(サントリー美術館)

このところ、平安時代からから室町時代のやまと絵江戸時代の余白の美術と日本美術の展覧会を時代順に見てきたが、さらに時代は下って幕末明治の日本絵画を見に、サントリー美術館で開催されている「激動の時代 幕末明治の絵師たち」展に出かける。

www.suntory.co.jp

展覧会のサイトからその趣旨を引用する:

江戸から明治へと移り変わる激動の19世紀、日本絵画の伝統を受け継ぎながら新たな表現へ挑戦した絵師たちが活躍しました。本展では幕末明治期に個性的な作品を描いた絵師や変革を遂げた画派の作品に着目します。

幕末明治期の絵画は、江戸と明治(近世と近代)という時代のはざまに埋もれ、かつては等閑視されることもあった分野です。しかし、近年の美術史では、江戸から明治へのつながりを重視するようになり、現在、幕末明治期は多士済々の絵師たちが腕を奮った時代として注目度が高まっています。

本展では、幕末明治期の江戸・東京を中心に活動した異色の絵師たちを紹介し、その作品の魅力に迫ります。天保の改革や黒船来航、流行り病、安政の大地震、倒幕運動といった混沌とした世相を物語るように、劇的で力強い描写、迫真的な表現、そして怪奇的な画風などが生まれました。また、本格的に流入する西洋美術を受容した洋風画法や伝統に新たな創意を加えた作品も描かれています。このような幕末絵画の特徴は、明治時代初期頃まで見受けられました。

社会情勢が大きく変化する現代も「激動の時代」と呼べるかもしれません。本展は、今なお新鮮な驚きや力強さが感じられる幕末明治期の作品群を特集する貴重な機会となります。激動の時代に生きた絵師たちの創造性をぜひご覧ください。


www.youtube.com

展覧会は以下の4章から構成されている:

  • 第1章 幕末の江戸画壇
  • 第2章 幕末の洋風画
  • 第3章 幕末浮世絵の世界
  • 第4章 激動期の絵師

第1章、入場していきなり圧倒されるのが、狩野一信《五百羅漢図》(1854-63年、増上寺)である。全部で100幅ある(うち 96幅を一信が描き、没後 4幅を弟子が描いた)中の 6幅が展示されている。西洋画風の陰影表現と極彩色を使って描かれている羅漢の姿は、地獄絵といった登場シーンとも相まって強烈である。そうそう、村上隆の 100m にも及ぶ《五百羅漢図》は、この一信の作品に感化されて描かれたものだそうだ(山下裕二・髙岸輝『日本美術史』)。

その一方で、狩野一信は《源平合戦図屏風》(1853年)のように伝統的な狩野派様式に則った絵も描いている。その対比が印象的である。木挽町狩野家9代、古画研究の集大成を遂げた狩野養信(おさのぶ)の屏風とともに展示されている。

谷文晁とその弟子である渡辺崋山の絵もある。中国画の描法を吸収した画家たちだが、西洋画の手法も取り入れている。

第2章で大きく取り上げられているのは、安田雷州の銅版画である。西洋風を採り入れた「洋風画」を学んだ安田雷州は、葛飾北斎の弟子でもあり、司馬江漢・亜欧堂田善らが進めた銅版画の系譜を引き継ぎ、《東海道五十三駅》(1844年頃)などの風景銅版画を数多く残している。《東海道五十三駅》は同時代の歌川広重東海道五十三次》(1833-34年頃)に影響を受けたと考えられる。

第3章は幕末期の浮世絵ということで、歌川国芳などが展示されている。国芳の《讃岐院眷属をして為朝をすくふ図》(1851年頃)は、大判3枚に渡って怪奇な場面を描いている。幕末は広重・国芳から多くの弟子が輩出し、歌川派が一大勢力だったと言う。フォトスポットには、幻想的な歌川国芳《相馬の古内裏》が設置されていた。これは展示替えで後期に展示される予定の浮世絵である。

開港したこの時代の「浮き世」、すなわち横浜の風俗を表わす「横浜絵」も幕末期に多く描かれている。

第4章は開国、倒幕、明治維新、文明開化という激動の時代の絵師に焦点を当てている。維新後、錦絵を継承したのは、三代目広重や月岡芳年。洋風建築や新名所を描いて「開花絵」と呼ばれた。この時期は安価な輸入染料による赤や紫が多用されている。

時事性を扱う錦絵の中には、戦争や殺人の場面が描かれ、「血みどろ絵」と称されたものもある(山下裕二・髙岸輝『日本美術史』)。幕末・明治初年の歌舞伎の演出には、血腥さと怪奇が好まれたそうで、菊池容斎の《呂后斬戚夫人図》は、中国の故事を借りて試みた残虐表現である(辻惟雄『日本美術の歴史』)。

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そんな中、小林清親の風景版画は、錦絵の多色摺りの技法で街灯や月、炎などの光を描き出し「光線画」と称された。後年の川瀬巴水吉田博らの新版画や、渡辺省亭へ継承されていくもので、時事性・風俗性を特徴とした浮世絵版画から、鑑賞性を重視した木版作品へと意識変化が見てとれる(山下裕二・髙岸輝『日本美術史』)。

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柴田是真は漆工芸の蒔絵技術を絵画に応用しているのが印象的であった。

そしてこの時代を代表する河鍋暁斎。あらゆる技法を身につけ、それを自在に操る天才絵師である。「その手に描けぬものはなし」と称されたが、いつ見ても上手い!暁斎の絵を見ると、その感想しか出てこない。

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狩野一信と河鍋暁斎。展覧会では、それぞれ最初と最後の章に出てきた絵師たちだが、実は大きな共通点がある。どちらも幕末期に狩野派から逸脱していった絵師ということになる。幕藩体制が崩壊する中、狩野派の御用絵師としての身分は失われていくわけだが、そうなる前の時期に、伝統的な狩野派様式にとらわれず、他の画法を採り入れていった絵師たちということになる(古田亮『日本画とは何だったのか』)。

以下、古田亮『日本画とは何だったのか』で展開されている議論を紹介する:

狩野一信は極端な陰影法を用いた。一方、河鍋暁斎は、はじめ歌川国芳に浮世絵を学び、その後、狩野洞白のもとで修業。そして狩野派から逸脱して浮世絵と写生を織り交ぜた新しい描法を試みる。そこには流派を超えて日本の古典絵画を再構築しようとする気概が感じられる。しかしその画業を追うと、狩野派スタイルをそのまま見せているものも多い。

狩野派からの逸脱とは、幕末明治期にあたっては、まずは洋画的表現の受容を意味し、同時に、浮世絵、写真技術を取り込んでいく。こうした狩野派から脱却するエネルギーが、幕末明治期の美術を動かす要因の一つだった。

今回の展覧会は、幕末明治の激動の時代に、日本そのものが、そして日本人の考え方が大きく変わる中、さまざまな絵師たちが西洋の影響を受けつつも、独自のエネルギーをほとばしらせていたことがよくわかるものであった。

1年ぶりに静嘉堂@丸の内へ。「特別展 二つの頂 ― 宋磁と清朝官窯」で美しい中国陶磁を見て学ぶ(静嘉堂文庫美術館)

出光美術館で江戸時代の美術を楽しんだ後は、ADRIFT by David Myers にて美味しいランチ。食後は静嘉堂文庫美術館(通称:静嘉堂@丸の内)へ向かう。

www.seikado.or.jp adrift-tokyo.owst.jp

実は先日、銀座の割烹「ちくぜん」のおかみさんから招待券を分けていただいたのである。静嘉堂@丸の内が開館したのはちょうど1年前。それ以来の訪問になる。

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開催中の展覧会は、「開館1周年記念特別展 二つの頂 ― 宋磁と清朝官窯」である。やきもの・陶磁器については、まったく知識がないが(そもそも陶器と磁器の違いを知らなかったりする)、曜変天目南宋時代(12 - 13世紀)の磁器であることは知っている。そして世界に三つしかない曜変天目は、すべて日本にあり、三つとも国宝に指定されている。その中の一つ、稲葉天目と1年ぶりに再会することになる。

otonayaki.com

展覧会のサイト・チラシから概要を引用する:

8000年を超える悠久の歴史をもち、陶芸技術の粋を極めた中国陶磁。その歴史上、二つの頂点といえるのが、宋代(960~1279)の陶磁器と清朝(1616~1912)の官窯磁器です。

商工業や各種技術が発達した宋代の中国では、各地で青磁白磁、黒釉など多種多様で洗練された陶磁器が生み出されました。それらは後世「宋磁」と称えられ、「古典」として現代にまで影響を与え続けています。

また最後の王朝・清朝では、磁器の都・景徳鎮に宮廷用の陶磁器を焼造する政府直営の工房=官窯が設置され、最高の技術と材料をもって皇帝のためのやきものが作られました。 清朝最盛期、康煕・雍正・乾隆の三代(1662~1795)の皇帝たちは、陶磁器への関心が高く、官窯に督陶官が派遣され、技術・意匠の両面で究極ともいうべき作品が次々と生み出されました。

静嘉堂所蔵の清朝官窯磁器には、岩﨑彌之助(三菱第2代社長、1851~1908)が明治20年代という早い段階で蒐集した作品が含まれています。また20世紀初頭には彌之助の嗣子・小彌太(三菱第4代社長、1879~1945)により、日本伝世の宋磁の優品に加え、新出の宋磁や清朝官窯の名品が蒐集され、世界有数の質を誇る中国陶磁コレクションが形成されました。 本展では、南宋官窯をはじめとする静嘉堂の宋磁の名品と、清朝官窯磁器から青花・五彩・粉彩・単色釉の優品を精選し展示します。

世界でも圧倒的な中国陶磁。その二つの頂が宋磁と清の官窯(景徳鎮)ということになるらしい。

手元には出川直樹『やきもの鑑定入門』という本がある。 40年前に出版された古い本だが、改めてこの本で陶磁の歴史・知識を学びつつ、展覧会を振り返っていこう。

中国の陶芸は唐代に発展し、青磁白磁・黒釉の磁器が各地で焼かれた。宋代に入るとそれは最高潮に達する。

今回の展覧会でも、宋の青磁白磁のシンプルな美しさに惹かれる。

青磁は陶土に含まれる鉄分を還元炎焼成(不完全燃焼)することによる酸化第一鉄の色。少しでも酸化炎が出ると黄濁してしまうらしい。完璧さを求めた中国の青磁が最盛を迎えたのが宋代ということになる。元以降は中国文化が衰退し、青磁の品質も落ちていく。

一方、白磁は公用や儀式用に脈々と生産されてきた。宋代では定窯の白磁、景徳鎮の青白磁が著名で、元以降は青白磁白磁とも景徳鎮がその産出の中心になる。白磁は、白色の胎土に透明・半透明の釉がかけられ高温で焼かれたもの。土に鉄分などの不純物が少ないと白色になる。景徳鎮には高嶺山からとれるカオリン(高嶺土)があり、焼かれるとガラス質となる。

そして黒釉(天目釉)の磁器も宋代に最盛を迎える。この黒も鉄の色である。建窯(福建省)で作られた黒釉の茶碗。艶のある漆黒がひときわ美しい。窯の中で変化する、すなわち「窯変」を起こしたものが、油滴のように見えるのが油滴天目。そして夜空に浮かぶ星のように見えるのが曜変天目である(「曜変」は「窯変」から来ている。「曜」は光り輝く・星などの意味がある)。

曜変天目は、黒い釉面に大小の結晶が浮かび、その周りにぼかした状態の虹彩を持つ(出川直樹『やきもの鑑定入門』)。展覧会の説明によると、この何とも言えない美しい色は、CD やシャボン玉と同じような構造色だそうである。

白磁に藍色の絵の青花磁器(日本では染付磁器という)は、元朝末期に景徳鎮で完成し、以後、明代に主流となる。お馴染みの磁器は、コバルトの青によるものである。清朝にその高度な技巧を究めたが、その頃からさまざまな色釉や粉彩などの色絵に、主役の座を奪われていく。

釉薬をかけて一度焼いた陶磁器に色絵具で絵付をして、もう一度焼く二度焼きの方法で作られたのが色絵である。宋・明代の赤絵、淡い緑青色(剥きたての豆を思わせる)を主として黄・赤・紫などが加えられた豆彩、濃厚な五彩などがある。景徳鎮の官窯では、青花文様を下地にして上絵を加える青花の装飾が発展していく。

今回の展覧会でも、三彩・五彩・青花・豆彩が数多く展示されている。

素三彩

五彩・青花

素三彩・豆彩

清朝の景徳鎮官窯の色絵磁器の特色は、精緻な白磁と豊富な色料、そして粉彩と呼ばれている新しい色絵技法である。粉彩とは白磁の釉肌に、石英砂に鉛粉を混ぜた琺瑯(ほうろう)料を塗り、それを下地として彩色した色絵のことである。光沢のある釉肌とちがい、吸着力のある琺瑯質の下地の上に描くので、きわめて微妙な濃淡や中間色を表現することが可能となった。

清の皇帝たちの時代に作られた粉彩の精細な絵が美しい。

粉彩菊蝶図盤「大清雍正年製」銘

粉彩百鹿図壺「大清乾隆年製」銘

今回、「特別展 二つの頂 ― 宋磁と清朝官窯」を見て、さらに出川直樹『やきもの鑑定入門』に目を通して、中国の宋代から清代までの陶磁の歴史を学ぶことができた。還暦過ぎて初めて、陶磁器の世界の一端を垣間見た気がしている。ただし 40年も前に書かれた本に基づく知識なので、最近の本でアップデートしておく必要があるかもしれない。

日本の陶磁(やきもの)に目を転じよう。

時代別と分野別を組み合わせた多視点の記述が特徴的な、古田亮『教養の日本美術史』の「第10章 やきものの日本美術」によると、豊臣秀吉朝鮮出兵により多くの陶工が渡来した。そして肥前・有田の地で磁器焼成に成功したのは 1610年頃だと言う。6世紀後半に中国で初めて磁器(白磁)が完成して以来、なんと1000年余りの年月を経てのことであった。

それからわずか半世紀の間に、日本の磁器は飛躍的に発展する。ちょうど明から清へ移る内乱の時代、中国からの磁器の輸入が激減する間に、肥前窯は技術革新に努め、一気に国内需要拡大を成功させ、色絵磁器を創成した。初代柿右衛門が、色絵の焼成に成功していたのは 1647年とされる。初期の景徳鎮磁器を模倣する段階から、日本特有の優雅なスタイルへ発展し、柿右衛門様式として結実する。

柿右衛門様式を讃える言葉としてよく使われるのが「余白の美」。これはまさに、この日の午前中に出光美術館にて見た、狩野探幽が提唱した「つまらない」絵画のスタイルである。

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磁器の技術を獲得する前の日本は、陶器と焼締めの時代であった。わずか半世紀の間に技術革新を遂げた肥前窯も凄いが、それと同時期に、磁器の技術や素材が手に入れられない京都の地で、野々村仁清や尾形乾山は、陶土と釉薬を探究し、優雅で洒脱な造形を作っていたのだと思うと、感慨深い。

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「つまらない」絵をテーマにした「江戸時代の美術—『軽み』の誕生」展(出光美術館)

先週、平安時代から室町時代までの日本絵画、やまと絵の名品を堪能。今週はさらに時代が下り、江戸時代の美術を楽しむべく、久しぶりに出光美術館を訪ねる。

今回の「江戸時代の美術—『軽み』の誕生」展は、狩野派の盟主、狩野探幽が提唱した「つまらない」絵をテーマにした展覧会である。「面白くない」と言う意味ではない。「詰まらない」、英語にすると unfilled。要するに、余白を残す美術である。何も描かない余白に詩情を込める「余白の美」である。

ウェブサイトおよびパンフレットから展覧会の趣旨を引用する。

江戸時代の画壇における狩野派の地位を盤石なものにした狩野探幽(1602 - 74)は、後水尾天皇に対して「絵はつまりたるがわろき」と語ったといいます。つまり、画面にすべてを描きつくすのはよくなく、ゆとりや隙を感じさせるようにするべきだ、と。このような価値観は、絵画の領域だけに当てはまるものではなく、軽みを追求した蕉風俳諧の理論などとも通いあいながら、江戸時代を広く覆ったものでした。本展では、絵画と書跡を中心に、「つまらない」美意識によって貫かれた美術の世界を紹介します。

古田亮『教養の日本美術史』には次のように書かれている:

(狩野)永徳が画面をモチーフからはみ出させることで見る人の方へ働きかけたのに対し、探幽はモチーフとそれを表すため周囲にあしらった墨の濃淡により、図様を描かずに残した部分を大気の表現に変え、見る人を包み画中の世界に取り込む。室町時代に範とされた南宋絵画の、モチーフを画面の隅に寄せて余白に情感を込める空間表現を時代に合わせて再生させたのである。(古田亮『教養の日本美術史』 P.201)

展覧会は、狩野探幽に始まり、松尾芭蕉など俳諧が記された絵図(発句自画賛)、浮世絵、そして焼き物の世界での余白の美とも言える柿右衛門様式の展示があり、最後に江戸琳派酒井抱一や鈴木其一に至る。

今回展示されていた酒井抱一の《十二か月花鳥図》は、出光美術館が取得したプライスコレクションの一つである。

酒井抱一《十二か月花鳥図》右隻

酒井抱一《十二か月花鳥図》左隻

bijutsutecho.com

今回、ショップで2023年初めに開催された「江戸絵画の華」展の図録を入手できたのは嬉しい。プライスコレクションの目玉でもある伊藤若冲の作品を出した展覧会だったのだが、休日は混んでいて行き損ねていたからだ。その図録に今回の酒井抱一《十二か月花鳥図》も掲載されている。

「江戸絵画の華」図録

「江戸絵画の華」図録

出光美術館から皇居方面を眺めながら、少し休憩した後、外に出てランチのお店を探す。午前11時になったばかりだが、とても賑わっているオープンカフェのお店の室内に残り一組として入ることができた。たまたまフラッと入れたが、予約客で室内の席はほぼ埋まっている模様。

魚介のパエリアとクリーム・パスタが美味しい!女性客が多い人気店なのも頷ける。ADRIFT by David Myers というスペイン料理のお店だが、ハンバーガーやパスタも食べられる。David Myers は、ミシュランで星を獲得したこともある人とのこと。

adrift-tokyo.owst.jp

平安から室町までの日本美術を振り返る「特別展 やまと絵 ー 受け継がれる王朝の美 ー」にて、国宝・四大絵巻を堪能する(東京国立博物館)

10月11日から22日までの期間、国宝の四大絵巻が同時に見られるというので、始まったばかりの東京国立博物館(トーハク)で始まった「特別展 やまと絵 ー 受け継がれる王朝の美 ー」にいそいそと出かける。

yamatoe2023.jp

休日は事前予約が必要である。この日は開館時刻の 9時半は既にいっぱいで、11時から12時に入場するチケットが入手できた。そこで 9時半に上野に行き、まず常設展を見る。次に11時にオープンするレストランで早めの食事を済ませる。その後 12時になる前に、特別展に行った。トーハクで4時間近く過ごしたことになる。

そもそも「やまと絵」とは何か?特別展のサイトには次のような説明がある:

やまと絵の概念は時代によって変化します。平安時代から鎌倉時代頃にかけては、中国的な主題を描く唐絵(からえ)に対し、日本の風景や人物を描く作品をやまと絵と呼んでいました。それ以降は、水墨画など中国の新しい様式による絵画を漢画(かんが)と呼ぶのに対し、前代までの伝統的なスタイルに基づく作品をやまと絵と呼びました。

中国に由来する唐絵や漢画といった外来美術の理念や技法との交渉を繰り返しながら、独自の発展を遂げてきたのがやまと絵です。四季の移ろい、月ごとの行事、花鳥・山水やさまざまな物語など、あらゆるテーマが描かれてきました。

この「やまと絵」の定義を踏まえて、特別展の趣旨は次のように紹介されている:

平安時代前期に成立したやまと絵は、以後さまざまな変化を遂げながら連綿と描き継がれてきました。優美、繊細といったイメージで語られることの多いやまと絵ですが、それぞれの時代の最先端のモードを貪欲に取り込み、人びとを驚かせ続けてきた、極めて開明的で野心的な主題でもありました。伝統の継承、そして革新。常に新たな創造を志向する美的な営みこそが、やまと絵の本質と言うことができるでしょう。

本展は千年を超す歳月のなか、王朝美の精華を受け継ぎながらも、常に革新的であり続けてきたやまと絵を、特に平安時代から室町時代の優品を精選し、ご紹介するものです。これら「日本美術の教科書」と呼ぶに相応しい豪華な作品の数々により、やまと絵の壮大、かつ華麗な歴史を総覧し、振り返ります。

展示替えも含めて、250点近くにものぼる作品群は圧巻である。そして展示されている作品の7割が国宝や重要文化財であり、教科書や美術書などで馴染みのあるものも含まれている。美術手帖では、やまと絵の成立から成熟までを一堂に会する「実物教科書」と紹介されている。

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今回の目的の一つは、平安時代末期、12世紀に制作された四大絵巻を見ることである。四大絵巻とは次の通り:

  1. 源氏物語絵巻》(国宝、徳川美術館五島美術館蔵)
  2. 信貴山縁起絵巻》(国宝、奈良・朝護孫子寺蔵)
  3. 《伴大納言絵巻》(国宝、伝常磐光長筆、出光美術館蔵)
  4. 鳥獣戯画》(国宝、京都・高山寺蔵)

三大絵巻 + 鳥獣戯画、と言っていいかもしれない。院政期に制作された国宝の絵巻が、全国から集められた貴重な機会である。山下裕二・髙岸輝『日本美術史』によると、《源氏物語絵巻》は濃彩な物語絵の代表、そして《信貴山縁起絵巻》や《伴大納言絵巻》は躍動的な線による説話絵の代表ということになる。

長くできあがった行列に並んで、少しづつ左に移動しながら、単眼鏡で細部の描写を確認しつつ、絵巻を見ていく。さまざまな人物、その表情が描き分けられている。まるで現代の漫画を読んでいるような感覚である。

古田亮『日本絵画の教科書』によれば、《信貴山縁起絵巻》や《伴大納言絵巻》には、「異時同図法」といって一つの画面に異なる時間・できごとを連続して描く手法が取り入れられている。辻惟雄『日本美術の歴史』には、「絵巻を繰る動作に合わせて場面の転換や人物の動作がダイナミックに進行する手法には、現代のアニメに通じる要素のあることが指摘されている。」とある。

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擬人化されたサルやウサギ、カエルが相撲を水遊びや相撲をしている《鳥獣戯画》甲巻は、見ていて楽しい。濃淡をつけた墨の線でさまざまな描き分けをしている。線だけで描くのは「白描」と呼ばれる技法とのこと。

鳥獣戯画》甲巻(12~13世紀):図録より

いや、絵巻を克明に見ていくだけで、頭も足もすっかり疲れてしまった…。事前に常設展を見ていたことも影響しているかもしれない。絵巻を見終わった時点でも、まだ展覧会の半分も来ていない。

途切れそうになる集中力をもう一度奮い立たせて、残りの展示を見ていく。《百鬼夜行絵巻》(伝土佐光信筆)、《四季花鳥図屏風》(狩野元信筆)、そして《観楓図屏風》(狩野秀頼筆)など、大型の絵巻や絢爛な屏風絵が心に残った。特に狩野元信による《四季花鳥図屏風》では、漢画とやまと絵が一つの画面の中で融合された形が示されていると感じた。

狩野元信、その孫と目される秀頼の作品により、桃山時代、江戸時代へと続く狩野派の始まりを示したところで、この展覧会は終わりとなる。

狩野秀頼《観楓図屏風》(16世紀、室町時代):図録より

展覧会の図録は、かなりの大型本で分厚い。470ページもある。今回の「日本美術の教科書」とも言われる作品をすべて収録しており、その一つ一つに専門的な解説が加えられている。

すっかり疲れ果てたので、オープンカフェ「ゆりの木」へ。疲れた体に「クリームぜんざい」の甘さが染みわたる。今回は、特別展を見る前に、日本館や東洋館の常設展も見ていたので、疲れもなおさらである。

特別展と呼応する形で、日本館ではコーナー展示「仏画のなかのやまと絵山水」が開催されている。平安時代半ば以降、宮廷絵師と絵仏師が協働して絵画制作を行う環境が増え、仏画の中にやまと絵の山水表現が取り入れられるようになった。その例として国宝《十六羅漢像(第七尊者)》が展示されていた。

ふだん行かない東洋館だが、今回はすべてのフロアを一通り見て回っている。古代中国の青銅器、ガンダーラの仏像彫刻、中国の仏像や石窟寺院などが心に残った。ガンダーラの《如来坐像》(2~3世紀)と、中国・石窟寺院の《菩薩立像》(6世紀)、日本《文殊菩薩騎獅像および侍者立像》(鎌倉時代、1273年)を並べてみる。

如来坐像》パキスタンガンダーラ(2~3世紀)

《菩薩立像》中国・北斉時代(6世紀)

康円《文殊菩薩騎獅像および侍者立像》日本・鎌倉時代(1273年)

行く機会が少ない古刹の貴重な仏像に会える「特別展 京都・南山城の仏像」(東京国立博物館)

科博で「特別展 海」を見た後、レストランが開く 11時まで少し時間があったので、急きょ、トーハクで開催されている「特別展 京都・南山城の仏像」を見に行くことにした。

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本館開催のこじんまりとした展覧会だが、国宝・重要文化財となっている貴重な仏像が揃っていて、見応えのあるものだった。

Web サイトから開催概要を引用する:

京都府の最南部、木津川に育まれた風光明媚な一帯は南山城と呼ばれます。京都と奈良の間に位置し、独自の仏教文化が花開いたこの地には奈良時代平安時代に創建された古刹が点在し、そこには優れた仏像が伝わります。

平安時代に貴族たちが極楽往生を願い、九体阿弥陀(9体の阿弥陀如来像)を阿弥陀堂に安置することが流行しましたが、九体寺とも呼ばれる浄瑠璃寺には当時の彫像・堂宇が唯一現存します。9体の阿弥陀如来像が並ぶ様子はまさに極楽浄土の世界を表わしています。また、かつて恭仁京があった瓶原を山腹から望む海住山寺の檀像の十一面観音菩薩立像は、鋭く明快な彫りが魅力の平安時代初期の名作として知られ、10世紀末に東大寺の平崇上人が創建した禅定寺には、彫刻の造形が和様化し始めた時代の特徴を示す巨大な十一面観音菩薩立像が伝わります。そして、極楽寺阿弥陀如来立像のように、鎌倉時代に奈良の地で活躍した慶派仏師の手になる仏像も存在しています。それぞれの時代に作られた仏像が伝わることは、この地が絶え間なく信仰の場であったことを表わしています。

本展は、浄瑠璃寺の九体阿弥陀の修理完成を記念して開催されるものです。南山城に伝わる国宝、重要文化財をはじめとする数々の貴重な仏像を通じて、その歴史や文化の奥深さを辿ります。

時間調整のために急に思いついて見学したのだが、貴重な仏像を一堂に会して見ることができる望外の機会となった。京都の最南部、あるいは奈良の最北部に位置して、なかなか行く機会がない南山城の古刹へ、遠く思いを馳せることができた。

トーハクのレストラン「ゆりの木」に開店と同時に入ってランチ。

その後、老父母を訪問。午前中、展覧会を見てから行くのは、高速道路の渋滞を避けることもできるし、モチベーションも上がるので、いいパターンだと感じている。